蜂子皇子墓(出羽三山神社)概要: 蜂子皇子は欽明天皇23年(562)、崇峻天皇の第3皇子として生まれました。崇峻天皇5年(592)、蘇我馬子が家臣である東漢駒に命じて崇峻天皇を暗殺、危機を感じ取った蜂子皇子は聖徳太子の助けを借り宮中を脱出し丹後国由良から日本海を北上し出羽国由良八乙女浦に辿り着きました。
伝説によると蜂子皇子は八乙女浦の絶景に心打たれていると、何処からとも無く美しい歌声が聞こえてきたので近寄ってみると大きな洞窟が現れ8人の美女が舞を舞っていたそうです。その内の恵姫と美凰の案内により無事に上陸を果たし、神聖な山の存在などを教わり、暫くその洞窟で身を隠しながら修行を行い次第に霊力を身に着けていきました。
機が熟すと、蜂子皇子は霊山を目指し登拝しましたが山は険しく辺りも暗くなりとうとう道を見失ってしまいました。蜂子皇子は観音菩薩に強く念じると、突然八咫烏(足が3本)が出現、皇子は八咫烏に導かれ山頂に登りつくと観音像が現れました。その霊験の噂お聞きつけた出羽国の国司は羽黒山寂光寺を開き観音像を本尊とした観音堂を造営したと伝えられています。
蜂子皇子はさらに修行を重ね月山に登拝すると今度は阿弥陀如来が出現、月山を霊地と悟り暮礼山月山寺を開山、月山から東に下ると温泉が湧き出る霊地に大日如来が出現、ここに湯殿山神社を創建しています。
その後も蜂子皇子は出羽三山の発展の為、数多くの神社や寺院を創建し舒明天皇13年(641)、享年80歳でこの世を去っています。墓域は羽黒山山頂とされ明治時代に宮内庁によって比定、現在でも東北地方で唯一の皇族の墓として宮内庁が管轄しています。
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