高松観音(光明院)概要: 高松観音の創建は神亀年間(724〜728年)、この地に行基菩薩(奈良時代の高僧)が訪れて正観世音菩薩坐像を自ら彫り込み村人に信仰させたの始まりとされます。当時から霊験が高いことで知られ、聖武天皇から御祈願所に指定されたのを初め、歴代領主からも崇敬の対象となり、社領の寄進や堂宇の造営などが行われました。
江戸時代に入ると歴代上山藩(藩庁・上山城)の藩主から崇敬庇護され特に松平家は篤く帰依した為、寺領30石を安堵し、例祭の際には代参を遣わし祭祀料を寄進しています。慶応元年(1865)に火事に巻き込まれ、本尊は無事だったものの建物や多くの宝物、記録などが焼失し、明治5年(1872)に再建されました。神仏分離令が発令された後の再建ですが鳥居と仁王門が併設されている神仏習合の形式を継承しています。
現在の高松観音堂は再建当時のもので入母屋、銅板葺、妻入、桁行4間、正面1間向拝付、向拝木鼻には獅子、欄間部には龍の精緻な彫刻が施され巨大な草鞋が奉納されています。山門は三間一戸、八脚単層門で両側には地方色豊かな仁王像が安置されています。高松観音は最上三十三観音霊場第十一番札所で、札所内では最南端に位置しています。
又、奇祭である「高松観音裸もちつき」は毎年12月中旬に行われる民俗行事で、今年の豊作を感謝し来年の無病息災、家内安全の祈願する年越し餅つきが行われ、特につきあがった餅を千本杵を使い空中高くもちあげる独特の形式が江戸時代から伝えられています。「高松観音裸もちつき」は上山市指定無形文化財に指定されています。
最上三十三観音霊場第11番札所(札所本尊:正観世音菩薩、伝:行基菩薩作・御詠歌:たかまつや やしまのほかの なみまでも しずかなるよに つきはすむなり)。上山十体観音第6番札所。宗派:真言宗。本尊:正観世音菩薩。
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