山田家住宅(上山藩武家屋敷)概要: 山田家は常陸国茨城郡笠間(現在の茨城県笠間市)出身の武士で元禄10年(1697)には藤井松平信通が3万石で上山藩入封に伴い家臣として上山に赴任してきています。経緯は不詳ですが藤井松平家が土浦藩(現在の茨城県土浦市)時代に仕官したのかも知れません。
上山藩士としては50石取りの中級武士ですが惣領席や馬廻席、寺社奉行、勘定奉行、者頭、大目付など重職を任され、藩主からも信任され傍勤めとして江戸や大阪に随行し何度も上山と往復しています。特に5代源次郎は文久3年(1863)に弓道日置流射術師範となり慶応元年(1865)には教導方、明新館(上山藩藩校)の都講に昇進し、戊辰戦争でも官制上山藩民務局勧農司事として参戦しています。
現在の主屋の建築年は文化元年(1804)と推定され、木造平屋建、寄棟、平入、茅葺、曲屋で模様替え程度の改修はあるものの、主材の変更が少なく貴重な存在といえます。又、庭園は高野槙やツツジ、サルスベリなどがある武家庭園で、往時は松の大木があった事から山田家の屋敷は「松陰亭」との異名がありました。山田家住宅は江戸時代後期の武家屋敷の遺構として貴重な事から平成16年(2004)に上山指定有形文化財に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-上山市教育委員会
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