鼠ヶ関址(鶴岡市)概要: 近世鼠ヶ関(念珠関)は庄内藩と村上藩の藩境に設置された番所で庄内藩が管理運営を行ってきました。特に元和8年(1622)に最上家が改易となり酒井家が庄内藩を立藩後に本格的に整備され、敷地には桁行7間、梁間3間、平屋建て、茅葺の番所が設けられ、取調所と役人の控え室となりました。江戸時代初期の関守は大庄屋である佐藤掃部家が歴任し、酒井家が藩主になると引き続き佐藤掃部家が上番と沖の口改役を取り仕切り、天和2年(1682)以降は追放者立会見届役となりました。近世鼠ヶ関は明治5年(1872)に宿駅制度が廃止するまで継続され、近世交通の遺構として貴重なことから平成元年(1989)に鶴岡市指定史跡に指定されています。尚、白河の関、勿来関と共に奥州三古関の1つに数えられた古代鼠ヶ関はここより離れた位置にあり、軍事的施設も兼ねた大規模な関所だったと言われています。文献としての初見は平安時代に使われた「能因歌枕」の「ねずみの関」で鎌倉時代の正式な歴史書である「吾妻鏡」や室町時代に編纂された「義経記」の中でも記載されています。発掘調査により様々な建物跡や須恵器、製鉄、製塩などの生産所跡も発見され昭和47年(1972)には鶴岡市指定史跡に指定されています。
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