鼠ヶ関(鶴岡市)概要: 鼠ヶ関宿が位置する所は古くは蝦夷地との国境だった場所で古代の関所である鼠ヶ関は白河の関、勿来関と共に奥州三古関の1つに数えられています。大和朝廷が築いた都岐沙羅柵も鼠ヶ関付近にあったとされ軍事的にも重要視していた事が考えられています。又、源義経が平泉(岩手県平泉町)下向の際、この地から上陸したという伝説の地でもあります。その後も越後国と出羽国との国境として重要視され江戸時代に入ると庄内藩(鶴ヶ岡城)の御番所が現在の石碑の場所に設けられて、大庄屋である佐藤家が深く関係したとされます。元禄2年(1689)6月27日には松尾芭蕉が曽良と分かれて単独で鼠ヶ関宿を通過、「奥の細道」行脚で芭蕉と曽良が別行動を取ったのはこの区間のみで曽良は温海温泉を経て出羽街道に至り、芭蕉は鼠ヶ関宿、勝木を経て出羽街道の中村宿(北中宿)で宿泊しています。確かにこの区間にも見所が多いのですが特に句を残している訳でも無く、最大の名勝である「笹川流れ」には訪れておらず謎の1つとされています。古代鼠ヶ関と近世鼠ヶ関(念珠関)は鶴岡市指定史跡に指定されています。
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