本覚寺(村山市)概要: 犠徳山本覚寺は山形県村山市楯岡楯に境内を構えている浄土宗の寺院です。本覚寺の創建は天正元年(1573)に安蓮社良穏上人が開山したと伝えられています。開山の理由としては、雨乞いで生贄となった牛の供養をする為、道場を開いたとされます。
伝承によると元亀3年(1572)、当地域で大干ばつが発生し住民達が困っていると、預言者が最上川の五天には竜神が住む宮殿があり、そこに牛を捧げると、天(雨)の恵みがあるだろうと告げました。住民達は相談してある若者の牛を奪い最上川の五天に沈めると、御告げの通り急に雨が降り出し、農作物も助かり住民達も胸を撫で下ろしました。
住民達は若者に感謝しましたが、若者にとってその牛は掛け替えのないもので、とても住民達を許す事が出来ず怨みにさえ思いました。
すると、たまたま巡錫で当地を訪れた良穏上人が住民達に対して、自分達の利益を追求し無闇に生き物を殺傷する事は仏意に反する事であると告げると、最上川から牛の死体を引き上げ念仏を唱え篤く弔いました。
それを見た住民達は自らの行いを恥じ、犠牲になった牛を弔うと供に道場を設けて仏の教えを常に心の拠り所にしたそうです。
本覚寺は何度か火災に遭い、現在の本堂は文化元年(1804)、山門は文化5年(1809)にそれぞれ再建された古建築物で、写真にはありませんが経蔵も天保14年(1849)と江戸時代に建てられています。
本堂の前の両側には「左右の松」と呼ばれる立派な松は俳人鈴木左右が植えたもので樹齢400年、樹高5m、枝張り東方8m、西方11m、南方10m、北方7m、昭和30年(1955)に山形県指定天然記念物に指定されています。
又、境内には江戸時代の探検家、最上徳内の墓があります。山号:犠徳山。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
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