村山市(歴史)概要: 村山市は中世、楯岡城の城下町として発展した町で特に楯岡氏7代目の満茂は最上義光の有力な家臣として活躍、湯沢城(秋田県湯沢市)を拝領し、関ヶ原の戦い後は本荘城(秋田県由利本荘市)に入り由利郡5万5千石の支配を得ました。
元和8年(1622)に最上家が改易になると楯岡城は廃城となり、村山市も城下町から羽州街道の宿場町へ変貌していきます。楯岡宿が開設されると現在の村山郵便局辺りに本陣が構えられ、5日毎に市が開かれるなど活気を呈し、周辺からも家屋の移動がありました。
又、宿場の前を遮るように愛宕神社の前には大きな岩山があり、江戸時代から何度となく切通しの開削工事が行なわれ、現在のような形になったのは初代山形県令だった三島通庸が命じた工事後のことです。
現在の村山市の町並みは愛宕神社周辺のケヤキ群や本覚寺に至る参道など雰囲気の残る所も多くある一方、街道沿いは道路の拡幅や商店街の近代化などでどんどん古い町屋などが姿を消しているようです。
村山市の西側には最上川が流れ、古くは「最上川三難所」と呼ばれる最上川舟運にとっては最大の難所とされた「碁点」、「三ケ瀬」、「隼」すべてが市内にあり現在は川下りとして観光化されています。
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