楢下宿(歴史)概要: 楢下宿は羽州街道の宿場町で、慶長7年(1602)に羽州街道が開削され、さらに明暦2年(1656)に上山藩主土岐家により金山峠(標高:633m)が開削されると、金山峠越えが参勤交代の経路になると羽州街道の中では出羽国最後尾の宿場町との位置づけとなりました。楢下宿を過ぎると難所の1つ金山峠を控えている為、羽州街道を利用する13藩の大名が宿泊に利用し江戸時中期以降は出羽三山詣でを目指した民衆が利用した事で大いに賑わいました。
楢下宿を利用した13藩とは弘前藩(青森県弘前市:津軽家・弘前城)、黒石藩(青森県黒石市:黒石津軽家・黒石陣屋)、久保田藩(秋田県秋田市:佐竹家・久保田城)、亀田藩(秋田県由利本荘市亀田:岩城家・亀田陣屋)、本荘藩(秋田県由利本荘市:六郷家・本庄城)、矢島藩(秋田県由利本荘市矢島:生駒家・矢島陣屋)、庄内藩(山形県鶴岡市:酒井家・鶴ヶ岡城)、出羽松山藩(山形県酒田市松山:松山酒井家・松山城)、新庄藩(山形県新庄市:戸沢家・新庄城)、長瀞藩(山形県東根市長瀞:米津家・長瀞陣屋)、天童藩(山形県天童市:織田家・天童陣屋)、山形藩(山形県山形市:最終:水野家・山形城)、上山藩(山形県上山市:最終:藤井松平家−上山城)で、特に久保田藩(秋田藩)佐竹家と、庄内藩酒井家は雄藩だった為、楢下宿でも常宿を定めそれぞれ「秋田屋」、「庄内屋」の屋号が掲げられました。
楢下宿は上山藩と仙台藩の藩境の集落でもあり新町には上山藩の関所(口留番所)が設けられ(実際の藩境は金山峠で反対側の湯原宿には仙台藩の口留番所が設けられていました)、人物改めや荷物の確認など厳しく管理され、軍事的な要素なのか、自然的要素なのかよくわかりませんが、浄林寺からコの字型を描くように大きく曲がり金山川を2度渡るような特殊な構造をし、一般的な宿場町で見られる枡形とは大きく異なります。楢下宿は大きく新町、下町、横町、上町の四町に分けられ、下町が楢下宿の中心部で本陣兼問屋兼庄屋を歴任した「塩屋」をはじめ、脇本陣兼庄屋兼酒造業を営んでいた「滝沢屋」、久保田藩佐竹家の常宿(準脇本陣)の「秋田屋」、庄内藩酒井家の常宿(準脇本陣)の「庄内屋」などが軒を連ねました。
楢下宿の現在の町並みは宝暦7年(1757)の楢下大洪水後に新たに町割りしたものですが脇本陣だった「滝沢屋」をはじめ「庄内屋」、「大黒屋」、「山田屋」、「旧武田家」などの古建築物や、明治時代初期には山形県令三島通庸の命により金山川に架けられた2つの石造眼鏡橋が文化財指定を受けています。楢下宿は古い建物が並ぶ町並みとまでは言えませんが単なる直線的に配置された宿場町とは異なる為、場面場面で印象に残る良好な景観が幾つも残されています。楢下宿は羽州街道の遺構として大変貴重な存在で文部科学省が定める指定基準(6:交通・通信施設、治山治水施設、生産遺跡、その他経済・生産活動に関する遺跡)を満たしている事から「羽州街道・楢下宿・金山越」として平成9年(1997)に国指定史跡に指定されています。平成7年(1995)には「羽州街道―金山峠越(金山峠〜楢下宿)」として国土交通省(建設省)の歴史国道、平成8年(1996)には「羽州街道―金山峠越(金山峠〜楢下宿)」として歴史の道百選に選定されています。
楢下宿の文化財
・ 滝沢屋−宝暦年間-木造平屋,寄棟,銅板葺,曲屋,脇本陣−山形県指定文化財
・ 庄内屋−18世紀半-木造平屋,寄棟,茅葺,楢下宿最古−上山市指定文化財
・ 大黒屋−文化5年−木造平屋、寄棟、茅葺、旅籠−上山市指定文化財
・ 山田屋−明治18年−木造平屋、入母屋、瓦葺−上山市指定文化財
・ 武田家−宝暦9年−木造平屋,寄棟,茅葺,曲屋,旅籠−上山市指定文化財
・ 新橋−明治13年−アーチ式石橋、大門石製−上山市指定文化財
・ 覗橋−明治15年−アーチ式石橋、大門石製−上山市指定文化財
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