楢下宿: 庄内屋

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庄内屋

楢下宿・庄内屋
庄内屋概要: 庄内屋(山形県上山市)は所謂「屋号」で、江戸時代に参勤交代で楢下宿を通過した際、庄内藩主酒井家の宿所や休息所で利用されていた事が由来となっています。粟野家は基本的に楢下宿の脇本陣職を勤めていた家柄で、本来、大名は本陣を利用するはずですが、羽州街道には出羽国と陸奥津軽地方を領地を持った諸大名が参勤交代で利用する為、定宿として優先的に確保していたと思われます。庄内藩は有力な譜代大名で代々酒井家が藩主を歴任し14万石を領していました。本陣や脇本陣を維持するには労力と金銭の負担が大きい為、楢下宿の有力者が担いましたが、庄内藩でもある程度の援助があったと思われます。基本的には身分の高い人物しか利用が出来なった事から造りや形式、意匠などが格式の高いものが採用され、式台付の玄関や上段の間は象徴的な存在でした。切妻、妻入、茅葺屋根の座敷棟は羽州街道側に直交しているように配置され、正面から「げんかん(式台付、畳6帖)」、「しもなかま(畳8帖)」、「かみなかま(畳8帖)」、「じょうだん(畳6帖)」が一列に配され、家人が住まう主屋(寄棟、平入、茅葺屋根)では天井が設けられていませんが、座敷棟は天井が張られ、「じょうだん」はさらに床が高く床の間が設けられています。庄内屋(旧粟野家)の建物は1700年代中頃に建てられたと推定される古建築で貴重である事から平成2年(1990)に上山指定有形文化財に指定されています。

楢下宿(羽州街道): 楢下宿の成立時期は判りませんが、背後に控える金山峠(標高:633m)が上山藩主土岐家により開削され、羽州街道が金山峠を通る経路に変更になった事から、この前後に宿場町として町割されたと思われます。楢下宿の町並みの特徴は大きくコの字を描くように迂回するように町割されている事で、その為に中央に流れる金山川を上り下りと2度渡らなくてはいけない構成になっています。逆に通常の宿場町で見られる枡形が見られず、コの字の町割は防衛的な要素が含まれていると思われます。実際、金山峠は仙台藩(宮城県仙台市:本城−仙台城)と上山藩(山形県上山市:本城−上山城)の藩境があった為、楢下宿には上山藩の番所(関所)があり、人や荷物の管理が行われていました。楢下宿は難所である金山峠を控えていた為、参勤交代の際には多くの大名が宿泊で利用し、宿場内には上記の庄内屋や久保田藩(秋田県秋田市:本城−久保田城)の秋田屋など脇本陣格の宿が複数存在し、旅籠と農家建築を合わせたような民家が軒を連ねていました。現在でも楢下宿には庄内屋、大黒屋旧武田家と文化財指定されている3軒の茅葺屋根の古民家と、未指定の1軒の茅葺屋根の古民家が残され往時の雰囲気を残しています。

山形県の茅葺屋根建築
大日坊(湯殿山神社別当寺院)安久津八幡神社慈恩寺庄内屋(楢下宿)
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