上山城本丸庭園概要: 上山城本丸庭園は寛永5年(1628)に上山藩に入封した土岐頼行が居城である上山城(月岡城)を改修した際、当時上山藩に配流されていた沢庵和尚を召還して本丸御殿の作庭させたと伝わる名園です。本丸御殿から見ると蔵王連峰を借景とし、庭園全体に奇岩怪石を配する事で須弥山を表現しているとされます。元禄5年(1692)に2代藩主土岐頼殷が越前野岡藩(現在の福井県今立郡今立町野岡)に移封となると上山城は廃城となり多くの建物が破却され、その後、上山藩主となった金森家と藤井松平家は上山城の本丸に御殿を設けなかった為、庭園も荒廃しましたが近年その一部が整備され往時の趣を取り戻しています。
作庭に携わったと云われる沢庵和尚は安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の高僧で臨済宗大徳寺派の大本山大徳寺(京都府京都市北区紫野大徳寺町)の住職などを務めましたが、寛永4年(1627)、後水尾天皇が幕府に許可を取らず紫衣の授与を行った為、幕府側が紫衣の無効を訴えた所謂「紫衣事件」に連座し寛永6年(1629)に上山藩に流罪となりました。
手前に見えている石灯籠は作庭した当時藩主だった土岐家江戸上屋敷にあったもので、近年屋敷の改築工事に伴い上山市に寄進されたもので「土岐灯篭」と名付けられ上山城本丸庭園には石燈籠2基と7層石塔1基が建立されています(寄進されたのは江戸時代中期の石燈籠6基、7層石塔1基で、上山市内にある土岐家縁の地にそれぞれ移されています)。
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