正八幡神社(上山市)概要: 正八幡神社の創建は寛治7年(1093)に源義家(伊予守源頼義の長男)が後三年合戦(出羽の豪族清原氏の内紛、主に秋田県横手市にある沼の柵や金沢柵が主戦場となった)の折、当地で京都の男山八幡宮を遥拝して戦勝祈願したところ、見事勝利し乱を平定しました。
正平11年(1356)に当時の出羽探題だった源兼頼が源氏縁の霊地として改めて八幡神の分霊を勧請し社殿を建立しています。
歴代領主からも崇敬され天文年間(1532〜1553)に戦乱に巻き込まれ焼失しますが、慶長5年(1600)に住民が焼失を免れ岩倉山岩窟に安置していた御神体を発見した事を受け、山形城の城主最上義光が家臣である里見越後に命じて社殿が再建されています。
寛永5年(1628)に上山藩主となった土岐頼行は正八幡神社を篤く庇護し、社領の寄進をすると共に、徳川家光が誕生すると神輿渡御を城下でも行い、それが上山の秋祭りの由来となっています。宝永2年(1705)には当時の上山城主松平氏によって社殿が造営されています。
現在の社殿はその時建てられた古建築物で拝殿は寄棟、茅葺、平入、正面1間向拝付、本殿は寄棟、茅葺、妻入、両社殿共華美な装飾がない素朴のものですが風雪を重ねた歴史の重みを感じ文化財級の建物です。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治5年(1872)に郷社に列しています。
社宝である宮脇八幡宮俳額は文化元年(1804)に奉納され、「柳庵浅井」と「月槎楼蘭和」が選定した161句が評されているもので昭和60年(1985)に上山市指定有形文化財(工芸品)に指定されています。
境内の「土岐灯篭」は旧上山藩主だった土岐家の江戸上屋敷が近年になり改造される事になり縁のある正八幡神社に寄進したものです。「宮脇八幡宮のけやき」は推定樹齢約300年、樹高約25m、幹周4.52m、昭和54年(1979)に上山市指定天然記念物に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-正八幡神社
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