上山市: 浄光寺

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概要・歴史・観光・見所
浄光寺(上山市)概要: 湯出山浄光寺の創建は長禄3年(1459)に上山温泉を発見した月秀上人が阿弥陀如来像を安置し開山したと伝えられています。伝承によると肥前国杵嶋郡(現在の佐賀県杵島郡)出身の月秀上人は巡錫で当地を訪れた際、経塚山の南麓に境内を構え当時無住となっていた法界寺に留まり布教活動や地域の開発に尽力していたそうです。ある時、傷ついた1羽の鶴が源泉で湯浴びをし傷を癒している所を発見し、その源泉を利用し温泉場を設けたと伝えられています。その後、月秀は阿弥陀如来像を勧請して改めて浄光寺を開山、64歳で入寂すると境内に葬られています。現在の阿弥陀如来立像は天正年間(1573〜1593年)に法界寺から浄光寺に移されたと伝わる古仏で像高74cm、寄木造、漆箔彫眼、昭和34年(1959)に上山指定有形文化財に指定されています。元禄10年(1697)、松平信通(藤井松平家当主)が上山藩(藩庁・上山城)に入封すると歴代藤井松平家の菩提寺に定められ歴代藩主から庇護を受け寺運も隆盛しています。

浄光寺境内にある庭園は紫衣事件で寛永6年(1629)から3年間上山に配流された沢庵禅師(沢庵宗彭:、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の高僧、臨済宗大徳寺派大本山の大徳寺の住職)が作庭したもので、左は京都龍安寺の裏庭を右は桂離宮の庭園をそれぞれ模したものとされます。松平家位牌壇に安置されている「松平家牌所阿弥陀如来立像」は箕作合戦(所謂、「観音寺城の戦い」の別称、永禄11年:1568年、織田信長が上洛を目指した際、対立した近江の大名六角氏との戦い、主に本城だった観音寺城の支城である箕作城が主戦場となり徳川勢も1千の兵を率いて参戦しています。)の戦利品と伝えられるもので室町時代初期作、像高80cm、寄木造、漆箔玉眼、昭和32年(1597)に上山指定有形文化財に指定されています。又、浄光寺の別名は「ガマ寺」と呼ばれ、ガマのむがさり池には春先に数百匹のガマガエルがどこからともなく集まるそうです。山形百八地蔵尊霊場第12番札所(札所本尊:延命地蔵菩薩)。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来像。

浄光寺:写真

浄光寺
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