寒河江市(歴史)概要: 寒河江市は中世、大江氏が築いた寒河江城の城下町として発展した町です。大江氏は当初鎌倉幕府の要人として権勢を振るっていましたが、承久の乱で上皇側に付いた為、現在の寒河江市へ下向し土着し、以降約400年の間周辺を支配します。
大江氏は文化的事業のも力を入れ慈恩寺や寒河江八幡神社などを庇護し社殿の造営や改修、土地の寄進など積極的に行っています。
最盛期には西村山郡の大部分を占める程に成長し、石高は8万石を越える勢いがありましたが戦国時代末期、急成長した最上氏を抑える事が出来ず天正12年(1584)に戦に敗れると最期の当主大江高基は御楯山上で自刃したと伝えれられています。
寒河江市一帯は最上氏の支配となりましたが元和8年(1622)にお家騒動の為改易になり、その後は何度か支配がかわり宝暦3年(1753)からは寒河江代官所が配置され天領となります。寒河江市は紅花の栽培が盛んだった事もあり本楯河岸から最上川舟運を利用し酒田港に下り北前船によって上方と商いを行い大きく成長しました。
明治時代に入っても周辺地域の中心的役割を持ち早くから西村山郡役所や西村山郡会議事堂などの洋風建築が建てられました。
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