慈恩寺(寒河江市)概要: 瑞宝山慈恩寺の創建は神亀元年(734)に行基菩薩がここを訪れた時、比類なき霊地と悟り、聖武天皇に申し上げたところ、天平18年(746)に勅命で婆羅門僧正が開基となり、堂宇を建立し弥勒菩薩を安置したのが始まりとされます(諸説有り、山中に伽藍が構成されている事や、本尊などから平安時代初期に創建したとも)。
歴代領主に庇護され天仁元年(1108)に鳥羽上皇の宣勅により藤原基衡が本堂の改修と諸堂の造営を行い、その際、阿弥陀堂(常行堂)・釈迦堂(一切経堂)・丈六堂が新たに造営され、鎮守社として白山神社が勧請されました。
保元元年(1156)に後白河天皇の勅により鎮守社として熊野神社が創建されると白山神社は衰微し、慈恩寺が天台宗の中に真言宗を取り入れると文治2年(1186)には白山神社が鎮守社から外されています。
当時、出羽三山の一角を担った葉山とは密接な関係で慈恩寺の奥之院として、葉山修験の拠点の1つにもなっていました。
中世以降は寒河江荘の地頭として当地を支配した大江氏が庇護し諸堂の改修、造営、社領の寄進など力を添えていますが、南北朝時代の火事により焼失すると、南朝方の武将だった大江氏が敗れた事もあり当時の勢いは失われ、永正元年(1504)に当時の山形城の城主最上義定による寒河江侵攻の兵火により再び焼失すると衰退は顕著となりました。
天正12年(1584)最上氏が大江氏を滅ぼすと、代わりに最上氏により庇護され慶長5年(1600)の関が原の戦いでは戦勝祈願が行われ、慶長11年(1607)には初代山形藩主となった最上義光が三重塔を造営、元和4年に(1618)には最上義俊が本堂を再建しました。
元和8年(1622)最上家はお家騒動の為改易になると、今度は幕府から庇護を受ける事を画策し天台宗に改宗、全山では2812石余(東北随一)の寺領を寄進されました。古刹ということで多くの仏像や寺宝を所持し文化財指定も多数ありますが基本的に一般公開していないようです。
慈恩寺境内一帯は当地地域の信仰の中心で、行場や城郭跡など複合的な要素を持つ大変貴重な存在である事から平成26年(2014)に国指定史跡に指定されています。
又、境内には江戸時代中期の楼門建築である仁王門が山形県指定有形文化財に指定されている他、江戸時代中期に建てられた御堂建築である阿弥陀堂、薬師堂、大師堂、釈迦堂の4つの御堂が貴重な事から寒河江市指定文化財に指定されています。
東北三十六不動尊霊場第1番札所(札所本尊:不動尊(犬突き不動)・御詠歌:出羽路なる 大慈大悲の不動尊 結ぶえにしは 法のみ山に)。宗派:慈恩宗。本尊:弥勒菩薩。
慈恩寺の文化財
・ 建造物−国指定(1件)・山形県指定(4件)・寒河江市指定(5件)
・ 彫刻−国指定(5件)・山形県指定(15件)・寒河江市指定(8件)
・ 絵画−山形県指定(2件)・寒河江市指定(8件)
・ 工芸品−山形県指定(3件)・寒河江市指定(3件)
・ 古文書−山形県指定(1件)
・ 無形民俗文化財−国指定(1件)
・ 史跡−国指定(1件)
・ 天然記念物−寒河江市指定(5件)
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