慈恩寺:山形県寒河江市

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【 概 要 】慈恩寺は天平18年(746)に奈良時代の高僧として知られる婆羅門僧正(インド出身、奈良時代の渡来僧、東大寺四聖)によって創建された古寺です。伝承によると神亀元年(734)に名僧として知られた行基菩薩(奈良時代の高僧、東大寺四聖)が巡錫で当地を訪れた際、今まで見た事も無い景勝地だった事から、その事を都の聖武天皇に申し上げた事がきっかけになったと伝えられています。平安時代後期の天仁元年(1108)には鳥羽上皇の勅宣により藤原基衡(奥州藤原氏第2代当主)が境内を整備し多くの堂宇を造営しています。ただし、藤原基衡の生誕日が長治2年(1105)説が有力である事から、年号又は再興者に誤りがあるとされます。その後、出羽三山の一翼だった葉山(現在の出羽三山羽黒山月山湯殿山)を奥之院とする体制が整えられ、葉山別当寺として大きく発展、しかし、天文年間(1532〜1555年)に葉山修験との関係を絶った事から葉山信仰は大きく衰退し江戸時代初期には出羽三山の一角から外れる事となります。慈恩寺は歴代領主からも帰依され特に、中世以降、長く当地を支配した大江氏、寒河江氏からの庇護が篤く、戦国時代に大江氏、寒河江氏が没落すると、新たに領主となった山形城の城主最上氏から保護され三重塔本堂などの造営が行われました。元和8年(1622)に最上氏が山形藩主を改易になると、天台宗に改宗し幕府の保護を受け、引続き当地方の中心的寺院としての立場を維持しました。江戸時代の最盛期には東北地方最大の2千8百12石3斗余を領していましたが、明治時代に入ると神仏分離令、上知令、修験禁止令、廃仏毀釈運動などにより多くの寺領を失い衰微しました。現在でも本堂(茅葺屋根・国指定重要文化財)や三重塔(山形県指定文化財)、楼門(山門:山形県指定文化財)などの古建築をはじめ数多くの仏像(東北地方では平泉中尊寺や福島の常勝寺に次ぐとされます)、寺宝を所有しており、古寺名刹の寺観を見る事が出来ます。

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