山形県・日本武尊:縁の社寺・温泉

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社寺・温泉:一覧

名 称
場 所
内   容
備考
蔵王温泉・山形県
山形市
・蔵王温泉の開湯伝説によると西暦110年、日本武尊が東夷東征で進軍していた際、その軍に従軍していた家臣である吉備多賀由が蝦夷の強い抵抗を受け、毒矢により負傷し戦線を離脱しました。多賀由が受けた傷は深く、全身がただれ、高熱に魘された為、それを見かねた家臣が薬草を求め深い山に入り込んだところ、偶然、硫黄の匂いが立ち込め霊泉を発見しました。多賀由がその霊泉に浸かったところ、僅か数日で傷口が平癒し体力も回復したそうです。何時しか、その霊泉は「多賀由温泉」と呼ばれるようになり、さらに、時代が下がると「高湯温泉」として奥州三高湯(山形県米沢市白布温泉、福島県福島市の高湯温泉)に数えられる名泉として名を馳せました。現在は蔵王山が日本観光地百選・山岳の部で1位になった事に因み「蔵王温泉」に改称しています。 
・鎧の明神
・冑の明神
・山形県
・戸沢村
・伝承によると、日本武尊が当地まで進軍してきた際、家臣が最上川の急流に流され為、日本武尊は自ら冑と鎧を投げ捨て裸のまま最上川に入り家臣を助けたそうです。その後、冑が落ちた場所に冑の明神、鎧の落ちた場所に鎧の明神を祭ったと伝えられています。又、室町時代に成立した軍記物の「義経記」には源義経が奥州平泉(岩手県平泉町)に下向する際に両社共に拝んだと記載されています。 
・天満神社・山形県
・山形市
・天満神社の境内は日本武尊が当地に進軍した際に陣営を設けた場所とされ、その後、尊が当地に巣くう鬼を征伐した事に因み「払鬼城」と呼ばれるようになりました。天長2年(825)にその場所に日本武尊と地主神を祭る社が設けられ「払鬼大明神」が創建、さらに、応永3年(1396)には山形城の城主斯波直家によって日頃から信仰してた天神様(菅原道真)を祭る為、北野天満宮(京都府)より分霊を勧請した為、「小白川天神」と呼ばれるようになっています。 
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※ 「全国の日本武尊:縁の社寺・温泉」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。リンクはフリーですが画像や文章等のコピーは行わないでください。