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湯殿山神社は推古13年(605)に出羽三山を開山した蜂子皇子(崇峻天皇第三皇子)によって開かれたとも、天長10年(833)に弘法大師空海(平安時代初期の高僧)によって開かれたとも云われています。元々の出羽三山は羽黒山(現在の出羽神社)と月山(現在の月山神社)、羽山(現在の葉山大円院)の三山で構成され湯殿山神社は奥之院的な存在でしたが、室町時代に羽山(葉山)修験が衰微し、道智上人が事実上の湯殿山を開山(中興?)すると立場が逆転し、次第に湯殿山神社が出羽三山に数えられるようになりました。道智上人は別当寺院である大日寺(由緒としては弘法大師空海が開山)を応永2年(1395)年頃に開山(中興?)すると置賜地方から湯殿山の御神体に至る参詣道、所謂「道智通り」と開き、湯殿山修験の基礎を固めました。古くから出羽三山は神仏習合し、真言宗に近い信仰でしたが、戦国時代の戦乱の兵火などで衰微し、江戸時代には再興を図る為に羽黒山の別当だった天佑が幕府の重鎮である天海大僧正に近づき、出羽三山全体を天台宗に改宗するように画策、しかし、湯殿山だけは頑強に真言宗を維持しました。これにより上記のように、他の2山とは開山者や開山年、由来などが異なる教えを継承しています。湯殿山神社には拝殿や本殿が無く、御神体も、正に「御神体」で古代からの自然崇拝の典型とも言える自然が創り出した奇跡なような存在で古来から「語るなかれ」、「聞くなかれ」と戒められ、江戸時代前期に当地を訪れた松尾芭蕉も「語られぬ湯殿にむらす袂かな」の句を残しています。明治時代に入り神仏分離令と廃物希釈運動により別当寺院だった大日寺は湯殿山神社(山形県西村山郡西川町大井沢中村)、本道寺は口之宮湯殿山神社(村山郡西川町大字本道寺)、大日坊(山形県鶴岡市大網)、注連寺(山形県鶴岡市大網中台)は真言宗の寺院として存続しています。又、御神体の形態や祭神である大己貴命と少彦名命は温泉の守護神として信仰されていた事から、全国の温泉街には湯殿山神社の分霊を勧請している神社が数多く見られます(日光の湯西川温泉や宮城の秋保温泉、長野の野沢温泉、岐阜の下呂温泉など)。
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