長応寺(酒田市)概要: 分明山長応寺は山形県酒田市砂越字楯之内に境内を構えている曹洞宗の寺院です。長応寺の創建は不詳ですが、当初は真言宗の寺院として開かれたようです。砂越城の城主、砂越氏の菩提寺と思われ、当時は砂越城の外掘にあたる屋敷川の内側にある寺屋敷に位置し搦戸門を守る防衛拠点となっていたようです。天正3年(1575)には喜翁宗悦大和尚(総光寺25世)を招き中興開山し曹洞宗に改宗しています。砂越氏は戦国時代末期には最上家に従いましたが、天正16年(1588)、上杉、武藤(大宝寺)との十五里ヶ原の戦いに敗れた為、大きく後退し砂越氏は縁戚関係にある安東氏を頼り秋田に逃れています。
長応寺は庇護者を失い衰微しさらに慶長6年(1601)、関ヶ原の戦い後に行われた、最上家による対上杉家掃討戦の兵火により砂越城は落城し、城下もその兵火により焼失しました。
寛保3年(1743)に現在地である砂越城の2の丸に移り再興、現在でも砂越城の土塁や堀の跡が見られ砂越城主の尊親塔が建立されています。明治30年(1897)に福重寺(砂谷)から「安産地蔵尊」の分霊が勧請され安産に御利益があるとして広く信仰を集めています。
本堂は入母屋、銅板葺、平入、正面1間向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ。山号:分明山。宗派:曹洞宗。
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