金山大堰概要: 案内板によると「 金山大堰は、いつ誰の手によって開削されたものか判明していないが、丹与惣左エ門が金山城を治めていた戦国時代の末期天正(1580)年頃開けた多くの集落がそれぞれ水田を耕すにつれて必然的に作られ、その後多くの人々の力によって末端に延長されていったものだろう。このようにして、最初は城下集落の農業用として、次いで近世の宿場集落の農業及び生活用水として文字通り金山の大動脈とも言うべき集落の中心を流れ、命の水として利用されてきたものである。明和4(1767)年の朴山松田家文書「覚」からも当時の水利権調整が維持されていることが伺える。・・・・・(後略) 金山町 」とあります。現在は石畳やポケットパークなどが整備され、周囲の土蔵の建物や板塀とあいまって金山町を代表とする町並みが見られます。金山大堰を敷地内に取り込む宅邸もあり現在でも行き続けている感じを受けます。金山大堰は農林水産省により日本の農業を支えてきた代表的な用水として評価され平成18年(2006)に「疏水百選」に選定されています。
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