金山城(楯山城)概要: 金山城は天正9年(1581)に最上義光家臣の丹与惣左衛門によって築かれたと言われています。金山周辺は戦国時代には横手城(秋田県横手市)の小野寺氏と山形の最上氏が激しく攻防が繰り広げられた地域で、重臣である丹氏を遣わし対小野氏の最前線として重要視しました。金山小学校の裏にある楯山(標高:260m、比高約80m)を縄張りし、山頂付近には25m四方の郭(本丸?)と長辺100m短辺80mの郭(2ノ丸?)が設けられ、随所に土塁や空堀が、堀切、要所には枡形が配され、現在の金山町に通じる城下町の建設も行い、武家町や社寺仏閣などのも整備しています。
その後は最上家家臣の鮭延氏の支配下に入り、鮭延氏の家臣である薗部彦右衛門や川田三右衛門が城代として配されています。元和8年(1622)に最上家は御家騒動が幕府に知られる事になり、それを理由に改易され、鮭延氏も連座してこの地を去り金山城も廃城となり伊達家により取り壊されています。現在、金山城の表門は万宝院に裏門は宝円寺の山門を経て小学校の校庭の一角に「歴史の門」として移築されています。
|