谷口銀山(金山町)概要: 谷口銀山は金売吉次が発見したと伝わっています。金売吉次は奥州平泉(岩手県平泉町)を金の採掘で支えた人物で源義経が兄である源頼朝の逆鱗に触れ京都を追われ平泉に下向する際、裏で手を廻し手助けたとも言われています。この様な金売吉次の伝説は全国各地の鉱山跡などで見られるため、伝説上の人物と考えられています。戦国時代末期に最上氏も採掘していたらしいのですが、本格的に採掘が始まったのは、近世に入り戸沢氏が新庄藩主となってからで、戸沢氏は碇屋与次兵衛(越後国:新潟県)や近岡六郎兵衛(加賀国:石川県)、松田庄右衛門(難波:大阪府)などの鉱山技術者を召還して開発に尽力し最盛期は寛永から慶安年間(1624〜1652年)だったと言われています。
その頃の谷口銀山は坑道は「傳助鋪」や「勝鋪」、「六十六貫鋪」など66箇所、大水抜鋪は「新大切」、「未甲割」の2箇所、銀掘小屋3000軒、遊女宿70余軒、9ヶ寺があったとされ、「新庄領村鑑」によると7頭の馬に1頭あたり32貫積み込まれた産銀は7ヶ月の間運び新庄城の城下に続けられたそうです。
その後、水抜きが困難となった為、弘化2年(1845)に廃坑となりました。現在は建物等の遺構はありませんが、当時の名残と思われる地名(ずり山、伝助鋪、まさり鋪、十分一、買石沢)が伝わっています。谷口銀山大切鋪・跡は歴史的にも貴重な事から金山町指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-金山町
・ 現地案内板(谷口銀山図)
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