横尾家(東根市)概要: 横尾家の祖先は戦国時代現在の山形県全域を支配した最上義光の重臣で長谷堂城を任されていた志村伊豆守光安です。
志村光安は慶長5年(1600)、「出羽の関ヶ原」と称された長谷堂城攻防戦(慶長出羽合戦)で上杉家執政の直江兼続率いる圧倒的な兵力の上杉軍から長谷堂城を守り抜き、その後も上杉軍追撃戦や、庄内地方の上杉軍掃討戦にも従軍し、その功により東禅寺城(亀ヶ崎城)3万石が与えられました。
元和8年(1622)に最上家がお家騒動で改易されると志村家の本家筋(山形藩の家老を歴任し最終的には水野家の第一家老となっています。)や重臣達が他家に預りの身になる中、志村家の一族の内一家が横尾家と名を変え東根城の三の丸にあたる当地に土着し、代々郡中総代名主を勤めました。
明治以降も地主として大きな影響力を持ち、明治21年(1888)には醸造業を興しています。現在でも座敷蔵や酒蔵などが残り、中庭には当時酒造りに使用された「梅ヶ枝清水(めがすず)」が懇懇と湧き出ています。又、昭和62年(1987)に横尾家から利用していない土蔵を融通された事で昭和63年(1988)から酒蔵の一部が資料館として開放されています。
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