鳥越一里塚(新庄市)概要: 鳥越一里塚は江戸時代初期に整備された羽州街道(奥州街道の桑折宿から分岐し出羽国を縦断し再び奥州街道の油川宿で合流する街道)の一里塚です。新庄城下ではここ以外に上茶屋町に設けられ、塚の上部には目印としてブナが植えられました。本来、道の両側に設置されるものでしたが、道路の拡幅などで消滅し旧状を伝えるのは鳥越の北側だけになってしまいました。
一里塚は名前の通り街道沿いに一里(約4km)毎に設けられた施設で、旅人や運送業者などがこの塚を目印や休息場所として利用し鳥越一里塚は江戸日本橋から数えて110里離れた場所に設置されました。又、一里塚の上には目印として樹木が植えられるのが通例で鳥越一里塚では「ブナ」が植えられ現在は樹齢300年以上、樹高25m、幹周3.75mに成長しています。鳥越一里塚は江戸時代の交通施設の遺構として貴重な事から昭和38年(1963)に新庄市指定史跡に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-新庄市教育委員会
|
|