瑞雲院(新庄市)概要: 向陽山瑞雲院の創建は永享2年(1430)に泉宥が開山したのが始まりと伝えられ江戸時代は新庄藩主戸沢氏の菩提寺として寺運が隆盛しました。江戸時代を通して寺領は150石を安堵され領内の禅宗を統括する地位を得て影響力の大きい寺院でした。
新庄城から見ると北東にあたる事から鬼門鎮護の役割と、城下北部の防衛拠点として考えられていたと思われます。
創建当初は大檜室清水に境内を構え慶安元年(1648)に新庄藩2代藩主戸沢正誠が造営した伽藍がありましたが、元禄14年(1701)に火災で堂宇が焼失し宝永元年(1704)に現在地に境内を移し再建、享保6年(1721)に再び火災で焼失し享保12年(1727)に再建して現在に至っています。
瑞雲院境内には藩主の御霊屋が6棟(1号棟−1704〜1721年、2号棟−1724年、3号棟−1747年、4号棟−1782年、5号棟−1788年、6号棟−1798年)建立されており、藩主の他に正室や子供が一緒に葬られています。
御霊屋自体はさほど大きくはありませんが、宝形屋根の茅葺屋根は郷愁を誘います。瑞雲院戸沢氏御霊屋(御堂建築)は「新庄藩主戸沢家墓所」として昭和62年(1987)に国指定史跡に指定されています。
瑞雲院の寺宝である虚空蔵菩薩は初代戸沢政盛が寛永3年(1626)に徳川家の重臣である鳥井家から養子として定盛を迎えた際、鳥井家からの引き出物として持参してきたもので大変珍しいものとされています。
十六羅漢像は元禄年間(1688〜1704年)に奉納されたもので、伝承によると新庄城下の豪商亀屋勘太夫の養女「ろん」は大変美しく気立て良い女性だった為、数多くの男性が求婚を求めましたが、「ろん」は全て断った為、自殺や没落する男性が後を立ちませんでした。そこで「ろん」は出家して京都の本願寺で修行、帰国の際、京都の仏師により製作された十六羅漢像を持ち帰り瑞雲院に寄進したと伝えられています。
新庄地廻り三十三観音第4番札所(御詠歌:まようみも いまはほとけの にわにきて さやける月に あうみてらかな)。宗派:曹洞宗。本尊:釈迦如来。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-新庄おたまや保存会
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