円満寺(歓喜天)概要: 小杉山吉祥院円満寺の創建は大同2年(807)、坂上田村麻呂が開いたのが始まりと伝えられています。当初は現在の秋田県大仙市小杉山に境内を構えた天台宗の寺院で慈覚大師が彫り込んだと伝わる十一面観音を本尊として広く信仰されました。中世に入ると現在の秋田県仙北市角館町を本拠に周辺を支配していた戸沢氏の庇護を受け寺領500石を領していました。又、当時の当主戸沢盛安の兄である堂珍房(戸沢盛重)が住職を務めるなど戸沢氏との関係が深く歴代の祈願所となっていました。
慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの結果、戸沢氏は角館から常陸松岡藩(茨城県高萩市)4万石に移封になると松岡に、元和8年(1622)に松岡藩から新庄藩6万石に移封になると新庄城の鬼門(北東)にあたる現在地へ移転となりました。当時は鬼門(北東)の方角から邪気が入り込み悪事や疫病が発生すると考えられ、それらを封じる必要性があった為、円満寺が配されたと考えられます。延宝4年(1676)に戸沢正誠が庭月観音堂を造営した際には当時の住職である尊純法印を招いて落慶法要が営まれています。
円満寺本堂は昭和43年(1968)に焼失後の平成10年(1998)に再建されてものですが、境内最古の建立とされる山門(切妻、茅葺、三間一戸)や淡島堂(出羽路十三仏霊場虚空蔵菩薩堂:入母屋、茅葺、平入、桁行2間、梁間2間、正面1間向拝付)、雷神堂(宝暦2年:1752年建築、流造、茅葺、桁行1.5間、梁間1間)と茅葺屋根の建物が軒を連ね、境内には円満寺住職宥勝和尚句碑や四国西国坂東秩父188ヶ所巡礼記念碑などの石碑も多く古社の雰囲気があります。出羽路十三仏霊場第13番札所(札所本尊:虚空蔵菩薩・御詠歌:いざさらば 今宵はここに 円満寺 祈りの声を 耳に触れつつ)。山号:小杉山。宗派:真言宗智山派。本尊:五大明王。
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