庭月観音

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概要・歴史・観光・見所
庭月観音(月蔵院)概要: 庭月観音の創建は天文4年(1535)に鮭延城主となった佐々木貞綱が城内に聖観世音菩薩像(慈覚大師の作伝)を安置した事が始まりとされます。佐々木家は元々近江源氏佐々木氏の一族で、綱村の代までは近江の鯰江城(滋賀県東近江市鯰江町)の城主を務めていましたが、15世紀末から16世紀初頭頃に出羽国の国人領主である小野寺家の客将として関口城(秋田県湯沢市)に入り貞綱の代に鮭延城の城主となり鮭延氏を名乗りました。聖観世音菩薩像も、元々鯰江城の時代から佐々木家が所有し貞綱の代に当地にもたらされたと思われます。

鮭延氏の家臣である庭月利左衛門広綱の進言もあり、広く民衆にも信仰出来るように天文15年(1546)に鮭川沿いに御堂を建立し、観音像を遷座しました。戦国時代末期、周辺は横手の小野寺氏と大宝寺の武藤氏、山形の最上氏による交戦が続き何度も領主が変わり、元和8年(1622)の最上騒動により山形藩主である最上家の改易に伴い鮭延氏や庭月氏が当地を離れた事で庇護者を失い衰微します。

新たに新庄藩の藩主となった戸沢家は庭月観音の荒廃を憂い、寛文11年(1671)に現在地に遷座し延宝4年(1676)に御堂が落成、戸沢家の祈願所である円満寺(新庄市)の住職尊純法印を召還して落慶法要が営まれました。

現在の御堂は弘化年間(1844〜1848年)に計画され嘉永5年(1845)に再建されたもので、入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、正面1間向拝付、外壁は真壁造り、素木板張、向拝に施された龍や獅子、象などの彫刻も見事で特に蝦虹梁には2体の力士像が彫り込まれ、力士像は秋田県の中央から南部、山形県では北部に集中している建築彫刻で鮭川村も、その文化圏だった事がわかります。境内にはその他に「おかげ様門」や仁王門、巡礼堂、鐘楼、阿弥陀堂などの諸堂があり、最上三十三観音巡礼の最後の札所となっている為、観音堂にはおびただしい御札が貼り付けられていて信仰の厚さが分かります。

聖観世音菩薩立像は江戸時代初期に新庄藩主戸沢能登守公が寄進したと伝えるもので、寄木造、像高135cm、台座高40cm、鮭川村指定文化財に指定されています。同じく千体仏も鮭川村指定有形民俗文化財に指定されています。境内は風致に富、特に庭月観音から見る仲秋の名月が素晴しいとされ「庭月の仲秋」として出羽十景に選定され、庭月観音や境内を題材として数多くの俳句などが詠まれています。毎年8月18日には仏式としては東日本一と言われる灯ろう流しが行われ、数千の灯ろうが鮭川を埋め尽くします。最上三十三観音霊場第33番札所(札所本尊:聖観世音菩薩、伝:慈覚大師作・御詠歌:よろづよの ねがひをここに たのみおく ほとけのにわの つきぞさやけき・いままでは おやとたのみし おひずりを ぬぎておさむる にわつきのてら)。山形十三仏霊場第8番札所(札所本尊:聖観世音菩薩)。山形百八地蔵尊霊場第100番札所(札所本尊:びんてんこ地蔵)。宗派:天台宗。別当寺院:庭月山月蔵院。

庭月観音:本堂・観音堂・写真

庭月観音
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