新庄城: 新荘護国神社

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概要・歴史・観光・見所
新荘護国神社(新庄城)概要: 新荘護国神社の創建は明治2年(1869)に新庄藩最期の藩主(11代)である戸沢正実が、戊辰戦争(新庄藩は比較的早い段階で奥羽越列藩同盟を離脱して新政府軍に与した為、同盟側の庄内藩の攻撃を受け新庄城は落城、藩主戸沢正実も同じく新政府軍側となった久保田藩に逃れています。特に舟形口合戦は激戦で新庄藩士では堀彦右衛門以下6名、長州藩士1名が戦死しています)の戦死者56名を祀る為、戸沢家の菩提寺である瑞雲院境内(山形県新庄市十日町太田)に社殿を建てたのが始まりです。当初は招魂場と称していましたが、招魂社に改称すると共に明治11年(1880)にに吉川町に鎮座する天満宮(現在、新庄城本丸西南隅に鎮座する天満神社の分霊を勧請し、町民にも参拝出来るようにした)の脇に遷座し、大正4年(1915)に新庄城にある現在地に移ってきました。昭和14年(1939)に新荘護国神社に改称しています。その後、日清戦争や日露戦争、日中戦争、太平洋戦争などの戦死者も合祀され現在に至っています。拝殿は入母屋、銅板葺、平入、桁行5間、正面3間向拝付、外壁は真壁造、板張。本殿は一間社切妻造、銅板葺。祭神は堀彦右衛門はじめ新庄最上の護国の英霊3千3百9十4柱。例祭は8月26日。

新荘護国神社:写真

護国神社
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