桂嶽寺(新庄市)概要: 香雲山桂嶽寺は貞享3年(1686) に新庄藩2代藩主戸沢正誠が若干9歳で死去した政武(正武)の菩提を弔う為、太田にあった長松山万年寺を現在地に移した事が始まりとされます。寺号は政武の法名「桂嶽寺殿」に因み香雲山桂嶽寺に改称され、戸沢家の菩提寺の1つとして庇護されました。正誠は60年以上も藩政に携わり、新庄城の改修の他、鳥越八幡神社や天満神社を造営するなど大きな実績を残しました。享保7年(1722)2月3日、正誠が享年83歳、戒名「大輝院鳳山徳公」で没すると生前の遺言通り政武の墓碑のある桂嶽寺に埋葬され御霊屋が造営されました(棺中には政武画像が発見されいかに愛されていたか窺えます)。
御霊屋は木造平屋建、宝形造、こけら葺、桁行2間、梁間2間、総欅造素地、 真壁造、正誠の御霊屋は大名御霊屋建築(御堂建築)の遺構として大変貴重な存在で昭和62年(1987)に国指定史跡に指定されています。他の藩主の御霊屋6棟は、新庄藩主戸沢家の菩提寺である瑞雲院に建立され桂嶽寺と共に国指定史跡に指定されています。境内には江戸時代中期の財政家・和算家・新庄藩士の安島直円(戒名「祖眞院智算量空居士」)の墓碑(分骨)が建立され、寺宝として正誠使用の時計や手廻り品が残されています。宗派:臨済宗妙心寺派。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-文部省・新庄市教育委員会・新庄おたまや保存会
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