新庄市: 鳥越八幡神社

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概要・歴史・観光・見所

鳥越八幡神社(新庄市)概要: 鳥越八幡神社の創建は寛喜元年(1229)、鳥越楯の楯主である鳥越義宣が鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)の分霊を勧請したのが始まりとされ当初は新八幡宮と称していましたが、荒小屋地区に鎮座していた事から荒小屋八幡宮と呼ばれるようになりました。

寛永15年(1638)、新庄藩祖戸沢政盛の養子だった定盛が、荒小屋の地で鷹狩りを行った際、鷹と逸れた為に鎮座していた荒小屋八幡宮に祈願したところ見事念願成就し鷹が戻ってきました。

定盛は八幡神の神意に感謝し、現在地に荒小屋八幡宮を遷座し社殿(現在の本殿)を造営し、地名に因み鳥越八幡神社と称されるようになりました。

定盛は当時の山形藩主鳥居忠政の次男として生まれましたが、鳥居家は徳川家の重臣だった為、政盛は養子を迎える事で戸沢家の安泰を図りました(ただし、定盛は寛永18年:1641年に死去した為、2代藩主には政盛の次男正誠が就任しています)。

鳥越八幡神社の境内が新庄城の東南(巽)の方角に当たる為、巽鎮護という意味でも歴代戸沢家は崇敬庇護し、特に2代藩主戸沢正誠は元禄4年(1691)に拝殿を造営しています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治6年(1873)に郷社に列しています。

鳥越八幡神社本殿は寛永15年(1638)に建てられたもので、一間社流造、銅板葺き、妻面には戸沢家の家紋である「丸輪に抜き九曜」と「鶴丸」が掲げられ大瓶束直下には鬼面や梁上部にはカ士像の精緻な彫刻、当初は彩色など施され桃山時代の建築の流れを汲んでいます。

鳥越八幡神社拝殿は元禄4年(1691)に建てられたもので、入母屋、銅板葺(元茅葺)、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間向拝付、外壁は真壁造、板張素地、正面には済深法親王(112代霊元天皇皇子)が揮毫(写し)した「八幡宮」の扁額が掲げられています。

鳥越八幡神社の社殿(拝殿・本殿)は最上地方の最古の建物の1つで当時の建築を知る資料的価値が大変高く貴重な事から昭和61年(1986)に国指定重要文化財に指定されています。例祭に奉納される鳥越神楽は新庄市指定無形民俗文化財に指定されています。主祭神:応神天皇。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-新庄市教育委員会

鳥越八幡神社:写真

鳥越八幡神社
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