浄願寺(延沢城移築城門)概要: 満足山浄願寺は山形県北村山郡大石田町大字大石田丙に境内を構えている真宗大谷派の寺院です。浄願寺の創建は永正6年(1519)に開かれたのが始まりとされ、当初は常願寺と称していましたが後に現在の寺号である浄願寺に改め天保元年(1830)に現在地に移ってきています。先祖が延沢城の城主延沢氏の家臣で延沢銀山の奉行を務めた土屋家と浄願寺との関係は強く、浄願寺の山門は延沢城の裏門を土屋家三代目が移築したものと伝えられています。元和8年(1622年)の最上氏が御家騒動で改易となった為、延沢氏も連座し、その後、山形藩、幕府が管理し寛永7年(1667)に廃城、その内の幾つかの門が移築された1つとされます。
浄願寺山門は三間一戸で入母屋、金属板葺きの八脚門、間口5.71m、奥行3.41mあります。保存状態が良く、組物や建築装飾など江戸時代初期の技法が見られるなどの文化的価値が高い事く数少ない延沢城の遺構として貴重な事から昭和56年(1981)に大石田町指定有形文化財に指定されています。
又、浄願寺境内には帰農後に豪農、豪商となった土屋家5代目作兵衛(土屋只狂:俳人、幕府から苗字帯刀が許され、暁花園社中の主催や「もがみ川集」の発刊、西光寺に「すずし塚」句碑建立、松尾芭蕉縁の「さみだれを」を買い戻しなど大石田俳諧に尽力した。)の句碑(夜着重し 桜や咲ん 夜の雨)が建立されています。山号:満足山。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。
八脚門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-大石田町教育委員会
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