川前観音(大石田町)概要: 川前観音の創建は不詳ですが、慈覚大師円仁がここを訪れた時、周囲には流行病が蔓延し多くの人々が苦しんでいました。そこで慈覚大師が自ら聖観世音菩薩像を彫り込み悪病消除の祈願をしたところ、人々の健康を取り戻す事が出来たと言います。
当時の領主である安倍頼泰は川前観音を篤く信仰し現在地に観音堂を造営し以来、聖観世音菩薩像を本尊として広く知られるようになり、子孫も観音堂の維持発展に尽力しました。
戦国時代に入ると最上義光の侵攻により当時の領主安倍頼直が敗れ、一族も離散した為、観音堂は衰微しましたが、江戸時代に入ると新庄藩主戸沢家が庇護し再び隆盛しました。明治維新後の廃藩置県により新庄藩が廃藩になると戸沢家の管理から離れ集落の住民達が維持管理を行っています。
境内から見える最上川の風景は風光明媚として有名な場所で岡田三郎助、石井伯亭、真下慶治などがここを訪れていて大石田町指定登録文化財(名勝)となっています。又、最上川に面する景勝地に境内を構えている事から最上川舟運関係者から信仰され「金毘羅詣り」の絵馬が奉納されています。
最上三十三観音霊場第26番札所(札所本尊:聖観世音菩薩、伝:慈覚大師作・御詠歌:おのづから 身をきよめたる 川前の 渡りの舟は ぐぜいなるらん)。
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