藤島城(鶴岡市)概要: 藤島城は山形県鶴岡市藤島古楯跡に位置する中世の城郭です。藤島城の築城は和銅年間(708〜715年)といわれ、当時は出羽国府に関係した城だと推定されています。鎌倉時代になると周辺を支配した土佐林氏が城主となり、建久4年(1193)には土佐林右京守次正が城主だったとされ観応2年(1351)には北畠顕信が守永親王を奉じて旗揚げをし、以降20数年間、東北における南朝側の拠点となりました。その後、再び土佐氏が城主となり7代に渡り土佐氏の居城として整備拡張が行われましたが戦国時代末期になると、藤島を含めて庄内一帯が最上氏と上杉氏の交戦場となり、何度も支配権が変わり元亀2年(1571)に尾浦城の城主武藤(大宝寺)義氏が侵攻し土佐林氏も滅亡します。
その後も謀略により次々に城主が変わり天正年間(1573〜1593年)に行われた奥州仕置きにより、上杉氏の支配が決まり、検地を施行しましたが、それに対する地侍の抵抗が大きく農民達を扇動し大一揆と発展します。一揆勢は藤島城に籠城、上杉軍と交戦し、直江山城守兼続でも城を落とせなかったと言われています。兼続は起請文を発し一揆側と和睦を成立させましたが、藤島城を開城し一揆勢が城から離れると大軍を率いて再び侵攻し、老若男女悉く討ち取られたと伝えられています。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦後は再び最上領となりますが、元和元年(1615)に一国一城令が発令されると藤島城は廃城となります。藤島城は平城ですが高い土塁を築き、藤島川を外堀とし、郭、出城、支城を兼務した楯と呼ばれる前衛基地が多数藤島城を取り囲んでいました。現在は本丸に八幡神社が鎮座し、それを取り囲むように土塁の遺構が見られ、正面には水掘の一部も残り、昭和51年(1976)に鶴岡市(旧藤島町)指定史跡に指定されています。
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