酒田市: 亀ヶ崎城

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概要・歴史・観光・見所

亀ヶ崎城(酒田市)概要: 亀ヶ崎城は元々東禅寺城と呼ばれ文明10年(1478)に大宝寺氏が築城したのが始まりとされます。

当初は、四ツ興野辺りに境内を構えていた大浄山東禅寺を号する真言宗の寺院があり、多くの僧兵を擁し境内を城郭化した為、東禅寺城、又は酒田城と呼ばれるようになったとされます。

文正元年(1466)に、大楯城の城主遊佐氏が南下し東禅寺城を急襲、遊佐太郎繁元が城主に就任しましたが、同年に白髭水の大洪水が発生し城は大破しています。

その後、当地は大宝寺氏の支配下となり、酒田の地は最上川や日本海に面する水上交通の要所で、対立していた砂越氏の居城である砂越城を牽制する為に、文明10年(1478)に現在地に東禅寺城を再建しています。

永正9年(1512)、室町幕府から信濃守と出羽国飽海郡3万石を安堵された砂越氏雄が東禅寺城を襲撃、両者で千人余の戦死者を出す攻防戦が繰り広げられ、大宝寺方が敗北しています。

しかし、永正10年(1513)に大宝寺氏の居城である大宝寺城の攻防戦では大宝寺氏方が勝利し、氏雄とその子供達は討死して果てています。

砂越氏本流は滅亡した為、大宝寺氏の一族が名跡を継ぎ、東禅寺城も大宝寺流砂越氏が管理していましたが、次第に独立性を高め、大宝寺氏と対立しました。

天文元年(1533)には砂越氏が大宝寺城を襲撃し焼失させた事から、天文7年(1538)、今度は大宝寺晴時が東禅寺城と砂越城を攻撃し、東禅寺城は大宝寺氏の支配下となります。

その後、東禅寺城には大宝寺氏の家臣である、前森蔵人義長が配され、地名に因み「東禅寺」姓を掲げています。

義長は大宝寺義氏の娘を娶り、特に外交面で手腕を発揮し、重臣としての地位を確立しましたが、義氏の度重なる遠征や酒田湊の権益などで対立するようになっています。

天正11年(1583)には安東氏征伐に失敗した砂越氏、来次氏の懲罰軍を義長が率いる立場にありましたが、最上義光の後ろ盾を得て、その兵を率い逆に義氏の居城である尾浦城を攻めて自刃に追い込んでいます。

結局、庄内地方は最上家の支配下に入り、東禅寺氏、来次氏、大宝寺氏、砂越氏がそれぞれ4分割して管理する体制が採られました。

さらに、天正15年(1587)、大宝寺家の家督を継いだ義氏の弟である大宝寺義興も自刃させた事から、東禅寺義長が庄内地方を掌握してます。

しかし、義興の跡を継いだ越後上杉家の重臣本庄繁長の次男、大宝寺義勝は、上杉家と繁長の後ろ盾を得て、庄内地方に侵攻し十五里ヶ原の戦いが発生しています。

戦いは義長が敵本陣に突撃し討死、弟の勝正も討死した事で最上軍が不利となり、大宝寺氏方が勝利しています。

天正18年(1590)の奥州仕置きにより庄内地方の知行が大宝寺義勝に安堵されましたが、藤島一揆の不手際により改易となり、当地は上杉領となっています。

その後は、上杉家の家臣である河村彦左衛門、志田義秀、川村兵蔵が東禅寺城の城主を歴任し、城の拡張整備や城下町の町割りなどに尽力しています。

慶長5年(1600)に関ヶ原の戦いでは西軍の上杉軍が最上領へ侵攻し最上氏の本城である山形城まで近接しますが、本戦である関が原での石田三成敗北の報を聞き、領内に軍を引き揚げます。

最上氏はその隙をつき庄内領へ侵攻し東禅寺城を激戦の末落城させ領内の支配権を確立、最上義光が山形藩を立藩すると、当地は山形藩領に組み込まれています。

東禅寺城には上杉家との戦いで大功を挙げた志村伊豆守が3万石で配され、慶長8年(1603)に、東禅寺城近くの浜に大亀が打ち上げられたのを吉兆とし亀ヶ崎城と改名しています。

その後は最上氏の支配が続きますが、最上義光が死去すると最上家は家督相続で家中を二分するような御家騒動が起き、元和8年(1622)に改易となります。

庄内地方は徳川家の重臣で譜代大名である酒井忠勝が13万8千石で配され庄内藩が立藩しています。

酒井忠勝は鶴ヶ岡城(鶴岡市)を本城として、藩庁、藩主居館を整備し、一国一城令の中、亀ヶ崎城は例外として支城として認められ親族の松平氏が城代として配されています。

亀ヶ崎城は三の丸を廃するなど規模が縮小、一部の堀も埋め立てられ、それに伴い武家屋敷も減じられ、改めて城下町が整備されています。

明治元年(1868)に庄内藩が戊辰戦争で新政府軍に敗れると、亀ヶ崎城は接収され新政府の民政局と軍務官出張所が設置されています。

明治4年(1871)に廃藩置県が施行され庄内藩が廃藩となり、酒田県が立県すると、城内には県庁舎が設置されましたが、明治9年(1876)に山形県に組み込まれた為、酒田県庁舎は廃されています。

亀ヶ崎城は最上川と新井田川を外掘に見立てた平城で、周囲を高い土塁で囲みましたが、本格的な石垣や天守閣などの高層な建物は築きませんでした。

酒田県庁が廃止になると亀ヶ崎城は廃城、明治13年(1880)に民間に払い下げとなり、現在は本丸跡と二之丸後は酒井東高校の敷地、その他は宅地化した為、多くの遺構は失われ一部の土塁が残すだけになりました。

市内に境内を構えている円通寺の山門は亀ヶ崎城の搦手門を移築したものだと言われています。

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【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-酒田東高等学校長

亀ヶ崎城:写真

亀ヶ崎城
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