新田目城

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概要・歴史・観光・見所

新田目城(酒田市)概要: 新田目城は山形県酒田市本楯新田目に位置する中世の城郭です。

新田目城の築城年は不詳ですが、城域からは8世紀の遺物が発見され、出羽国府跡の有力候補で、出羽国の中心的な役割を持ったと思われる城輪柵から、西北西約1.5kmの場所に位置しています。

これらの事から、新田目城は8世紀末期頃に、出羽国司を補佐する「留守殿」の居館として築かれたのが始まりと推定されています。

一方、康平5年(1062)に前九年合戦で安倍一族を滅ぼし勝利を得た、源頼義、義家父子はその功績により、康平6年(1063)に頼義は正四位下伊予守、義家は従五位下出羽守に叙任されています。

出羽守となった義家は家臣で、前九年合戦に従軍し功績を挙げた首藤主馬首資清を出羽留守職に任じた為、この頃に新田目城は本格的な城郭に拡張されたと思われます。

資清と同一人物と見られる須藤主馬首助清は新田目城を拠点として後三年合戦(1087〜1094年)に従軍し活躍しています。

新田目城の主郭跡に鎮座している本楯大物忌神社には、後三年合戦の際、義家が当社で戦勝祈願を行い、念願成就すると太刀を奉納したと伝えられています。

又、本社である吹浦大物忌神社社記によると、後三年合戦頃の寛治年間(1087〜1094年)に新田目城が築かれたと記されています。

その後、須藤氏はその役職から留守氏を名乗るようになり、鎌倉時代頃には新田目城を本拠地とする本留守氏と高瀬村北目楯を本拠地とする新留守氏に分かれています。

文治5年(1189)には鎌倉幕府初代将軍源頼朝に命じられ、検地を実地し、正治2年(1200)には地頭の所務について旧規則に従うよう命じられるなど、事実上の国司のような役割を担っていたようです。

その後も、本留守氏は長くこの地を支配し、代々吹浦一宮大物忌神社の神主を担ったとされ神事に勤仕しています。

南北朝時代の正平13年/延文3年(1358)、南朝方の有力武将で陸奥守、鎮守府将軍である北畠顕信が大物忌神社で南朝復興と出羽国静謐を祈願し、神領として出羽国由利郡乙友村を寄進した事から、留守氏は南朝方に与していた事が窺えます。

南北朝の動乱は北朝方有利に和睦した為、留守氏は権益を失い没落したと思われますが、明応年間(1492〜1501年)頃に留守孫五郎が中興を果たしています。

留守孫五郎は庄内地方北部まで台頭した大宝寺氏に従い、後裔の留守孫九郎、中興3代留守遠江守、中興4代留守遠江守も同じく大宝寺氏の家臣となっています。

ただし、その間、留守氏が新田目城の城主だったのかは不詳で、天正年間(1573〜1592年)頃に宮内楯から丸岡民部大輔が新田目城に入ったとされます。

出羽国風土略記によると、丸岡氏は古代の民部省の官人で、宮内神社の神領地頭職も兼帯した一族と見られ、戦国時代には大宝寺氏に従ったようです。

天正11年(1583)、主家である大宝寺義氏は側近で要職である酒田代官を担い、東禅寺城の城主だった前森蔵人の謀反により居城である尾浦城で自刃に追い込まれています。

前森蔵人は最上義光と通じていた事もあり、庄内地方は最上家の支配下に入った為、中興4代留守遠江守は最上家に臣従し、弟である留守孫五郎を人質として山形城に出仕させています。

中興5代留守遠江守は、先代と丸岡民部大輔の妹との間に生まれ、当初は最上家に従ったものの、天正14年(1586)に義氏の跡を継いだ大宝寺義興と前森蔵人との戦いでは義興方に与しています。

新田目板橋の戦いでは前森蔵人の家臣である平藤仙右衛門に攻められ、一族である今井兵庫が討死しています。

天正16年(1588)に大宝寺家の名跡を継いだ大宝寺義勝と実父の本庄繁長が旧領奪還の為、庄内地方に侵攻、8月2日には最上の大軍が新田目城に攻め寄せています。

天正19年(1591)に藤島城を拠点とした藤島一揆の不手際により、大宝寺義勝が改易となり庄内地方が上杉領になると、上杉家の家臣で東禅寺城の城主となった甘粕備後守景継や志駄義秀の配下となっています。

慶長5年(1600)の関が原の合戦の際、留守遠江守は西軍に与した上杉方として東軍に与した最上領に侵攻しましたが、本戦で西軍が敗れると、撤退を余儀なくされ、東禅寺城で籠城したものの、間もなく落城しています。

結局、庄内地方は最上領になった為、浪人となり、跡を継いだ大炊之助は帰農し「今井」姓を掲げると、当地の肝煎となっています。

新田目城は最上家の持城になったと思われますが、慶長20年(1615)に発令された一国一城令を受け元和年間(1615〜1624年)に廃城になっています。

新田目城は東西70〜90間、南北50〜60間の平城で現在は主郭が大物忌神社の境内、酒田市北部農民センター、副郭は正傅寺、悦岩寺、梵照寺の境内、外郭は住宅地として開発されています。

現在でも水掘や土塁の一部が残り山形県内に残る居館跡で明確なものとしては最古とされ貴重な事から昭和32年(1957)に山形県指定史跡に指定されています。

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【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-山形県教育委員会・酒田市教育委員会
・ 現地案内板-酒田市教育委員会

新田目城:写真

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