山形市: 六椹八幡宮

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概要・歴史・観光・見所
六椹八幡宮(山形市)概要: 六椹八幡宮の創建は天平年間(729〜749年)に当時の六椹八幡宮(山形市)陸奥鎮守府将軍だった大野東人が勧請したと伝えられ六椹八幡宮と称していました。前九年合戦の折には源頼義、義家父子も当社を訪れ戦勝祈願をし六椹を「陸奥の苦抜き」となぞられるものとして見事勝利に導いたとされ、凱旋で当地に再び戻った康平6年(1063)には神意に感謝し社殿を造営しました。その後は歴代山形城の城主に崇敬庇護され、延文元年(1356)には斯波兼頼(最上家の祖)が社殿を再建しすると、以後歴代最上家の祈願所として帰依されました。慶長5年(1600)の出羽の関が原と呼ばれた長谷堂城の戦いの前には最上義光(最上家11代、初代山形藩主)が戦勝祈願を行い、見事上杉勢を領内から追い出す事が出来た事から、社殿の造営と社領の寄進が行われました。慶長8年(1622)に最上家が改易になると、新たに山形藩に入封した鳥居忠恒が庇護し寛永7年(1630)には社殿の造営が行われています。その後も山形城の鎮守社として歴代の城主、又、六椹八幡宮(山形市)慶安元年(1648)以降は幕府より社領418石の朱印状が発給され社運も隆盛しました。古くから神仏習合していましたが明治時代初頭に発令された神仏分離令により六椹観音などの仏教色が分離され明治6年(1873)に県社に列しました。現在の六椹八幡宮本殿は寛永7年(1630)に鳥居忠恒が造営した古建築物で三間社流造、銅板葺、随所に精緻な彫刻が施されています。拝殿は宝永3年(1707)に再建されたもので入母屋、銅板葺、平入、桁行6間、梁間3間、正面1間唐破風向拝付。六椹八幡宮の社殿は文化財には指定されていないものの貴重な存在といえます。又、境内には鐘楼があり神仏混合の名残も見られます。祭神:誉田別尊、息長帯姫命、比淘蜷_。

六椹八幡宮:写真

六椹八幡宮
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