鳥海月山両所宮(山形市)概要: 鳥海月山両所宮は山形県山形市宮町3丁目に鎮座している神社です。鳥海月山両所宮の創建は平安時代に源頼義、義家が前九年合戦の際、鳥海山大物忌神社(飽海郡遊佐町)と月山神社(鶴岡市)に戦勝祈願したところ、見事念願成就したことから神意に感謝し両社の分霊を勧請し社領1万石を寄進したのが始まりとされています。
歴代領主から北の総鎮守として崇敬され、戦国時代末期から江戸時代初期にかけては山形城の城主最上義光が社領1150石を安堵し、文禄4年(1595)には社殿を再建しています。元和8年(1622)最上家が御家騒動で改易された後は徳川幕府が庇護し689石(別当成就院560石・社人129石)が安堵され、歴代山形藩主の崇敬もあり明治維新を迎えています。
鳥海月山両所宮は古くから神仏習合していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により別当だった成就院などは廃寺、仁王像などの仏教色が一掃され、明治6年(1873)に郷社、明治12年(1879)に県社、昭和36年(1961)に別表神社に列しました。
鳥海月山両所宮随身門は天明3年(1783)に佐藤長太夫が建立したもので、入母屋、銅板葺、三間一戸、桁行3間、張間2間、八脚楼門、外壁は真壁造板張り、1階の天井には、藤原祐川春豊が描いた鳳凰や麒麟、竜などがあり当事の山形藩の技術の粋が集められています。
鳥海月山両所宮随身門は江戸時代後期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和41年(1966)に山形県指定有形文化財に指定されています。
鳥海月山両所宮本殿は寛永年間(1624〜1645年)の火災で焼失後、鳥海神社は寛政15年(1800)、月山神社は享和元年(1801)に再建されたもので、社隅木入春日造り、銅板葺(元こけら葺)、江戸時代後期に神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成3年(1991)に山形市指定有形文化財に指定されています。
鳥海月山両所宮拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行7間、正面3間向拝付き、外壁は真壁造り板張り。祭神:倉稲魂命(鳥海山大物忌神社)、月夜見命(月山神社)。
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