庄内町: 清河神社

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概要・歴史・観光・見所
清河神社(庄内町)概要: 清河神社の創建は昭和8年(1933)と比較的新しい神社で、清川出身の清河八郎を際神としています。清河八郎は天保元年(1830)に生まれ、18歳で江戸に登り、東条一堂や安積艮斎で学問を学びます。又、千葉周作の玄武館で剣を磨き北辰一刀流の免許皆伝となるなど、文武双方で秀でた才能を持っていました。その後、清河塾開設し徐々に倒幕、尊王攘夷の思想に傾倒していき、幕府から追われる立場となりが、松平春嶽にうまく取り入る事で将軍警護や京都警護の理由から「浪士組」を結成します。しかし、「浪士組」の真の目的は倒幕運動一環だった事から近藤勇や土方歳三が脱退(後の新撰組)し、残りの浪士200名と倒幕運動を展開します。幕府側もこの行動を無視できず、文久3年(1863)に八郎を江戸に呼び寄せ、戻った所を刺客によって暗殺(享年34歳)させます。明治維新後の明治41年(1908)に維新の礎となった八郎は正四位を贈られ神社建立への足がかりとなります。又、清河神社の境内は戊辰戦争の激戦地となった場所で、ここでの戦いで庄内軍戦死者13名、負傷者18名、政府軍戦死者12名、負傷者50名余といわれています。俳諧の正岡子規も明治26年(1893)にこの場所を訪れ「 蜩の 二十五年も 昔かな。 」と句を読んでいます。隣接する清河八郎記念館には山形県指定文化財に指定されている「紙本淡彩清河八郎像 藤本鉄石筆」や「清河八郎関係資料 27件49点」、庄内町指定文化財に指定されている「清河八郎自筆書関係 26件30点」や「清河八郎遺品関係 5件14点」、「勤皇志士自筆書画関係 7件8点」などが展示保存されています。

清河神社:写真

清河神社
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