芭蕉供養碑(鶴岡市・温海温泉)概要: 案内板によると「 元禄2年(1689)門人曽良を連れて奥の細道の旅に出た芭蕉は6月の半ば象潟から酒田を経て26日温海に一泊、翌日曽良と分かれて温海を発ち、弁天島を右手に鼠ヶ関を通過しました。芭蕉を偲んで建立されました。 温海町企画観光商工課 」とあります。上記でも分かるように松尾芭蕉は温海温泉に訪れずに直接馬で鼠ヶ関に向かい、門人である曽良は単独で温海温泉を見学に訪れています。この様に2人が別々の行程を歩むのは奥の細道では無かった事で謎の1つとされます。最も芭蕉自身は温泉には然程興味が無かったようで、温泉地としても入湯したのは飯坂温泉(福島県福島市飯坂町)や那須湯本温泉(栃木県那須町)、山中温泉(石川県加賀市)などに限られ、温泉を題材としての句は山中温泉の「山中や 菊はたをらぬ 湯の匂」だけだったと思います。飯坂温泉を酷評したのに対し山中温泉は草津温泉(群馬県草津町)、有馬温泉(兵庫県神戸市)と共に扶桑の三名湯と讃えています。芭蕉供養碑は熊野神社参道中腹にあります。
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