銀山温泉: 儀賀市郎左衛門像(延沢銀山発見者)

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概要・歴史・観光・見所
儀賀市郎左衛門像(尾花沢市・銀山温泉)概要: 延沢銀山は康正2年(1457)、加賀国金沢(現在の石川県金沢市)出身の儀賀市郎左衛門により発見されたと伝えられています。儀賀市郎はその後も鉱山開発に尽力すると戦国時代から江戸時代中期にかけて全国的にも有数な銀山として発展し人口も2万人を数えたそうです。現在、延沢銀山は閉山していましたが儀賀市郎左衛門の功績を讃え、延沢銀山を見下ろす高台に像が建立されました。伝承によると儀賀市郎左衛門は出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)詣の為、金沢から塩釜(現在の宮城県塩釜市)、松島(現在の宮城県松島町)を経て軽井沢越(銀山越)で出羽国に入り軽井沢宿で宿泊すると、その晩、霊夢に山の神の化身と思われる1人の老人(衣冠束帯の姿で弓を持っていたとされます。)が立ち銀山のある場所を告げたそうです。市郎左衛門は不思議と思いながら告げられた場所(八ツ堀橋の上流付近)に行ってみると黒ずんだ小石を発見、周辺住民に聞いてみると、このような石は笠頭山に沢山落ちていると言われました。儀賀市郎は一旦、金沢に帰り山師にその小石を見せると銀を多量に含んだ銀鉱石である事が判明、早速儀賀市郎は多くの山師を従えて鉱山の開発を行なったと云われています。

儀賀市郎左衛門像:写真

儀賀市郎左衛門像
[ 付近地図: 山形県尾花沢市 ]・[ 尾花沢市 ]


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