尾花沢市: 天子塚

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概要・歴史・観光・見所
天子塚(尾花沢市)概要: 伝承によると承久3年(1221)に朝廷の復権に図る為、後鳥羽上皇と皇子である順徳上皇は鎌倉幕府に対して挙兵、当時の執権北条義時追討の院宣を出し京都周辺の兵を集めましたが、集まった人数が限られていた為、幕府の大軍によって大敗し、乱が終結すると後鳥羽上皇は隠岐、順徳上皇は佐渡に流されそれぞれ崩御しています。当地に伝わる伝承によると、順徳上皇の家臣である阿部頼時は上皇と共に佐渡島を脱出し出羽国に逃れ、最上川を遡り、大石田に上陸、当地に辿り着くと舟形山に潜伏しました。その後、麓に御所を設けて再起を図りましたが寛元4年(1246)に上皇は崩御、阿部頼時は御所山に御陵(天子塚:榊塚)を設け、御所の跡地には上皇の御霊を祀る御所神社を創建したと伝えられています。その後、御所神社は神仏習合し修験僧の拠点として発展した為、天子塚は修験僧による祈祷壇として利用されました。ただし、一般的には順徳上皇は仁治3年(1242)9月12日に佐渡島で崩御し、翌日火葬され(真野御陵=火葬塚)、御遺骨は家臣である阿仏房によって京都の後鳥羽上皇の墓所である大原に納められたとされます。尾花沢市の天子塚も昭和28年(1953)の調査によって修験の祈祷壇と断定されています。

天子塚:写真

天子塚
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