天童市: 仏向寺

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概要・歴史・観光・見所
仏向寺(天童市)概要: 宝樹山仏向寺の創建は弘安元年(1278)に天童城の城主、源(天童)頼直が開基となり一向上人を召還して開山したと伝えられています(実際には頼直の子供である頼泰が、一向上人の高弟行連を招き創建され、開基者を頼直、開山者を一向上人とした)。当初は天童市成生大字大清水字二階堂に境内を構えていましたが、永和元年(1375)、里見氏が天童城に配され天童氏の名跡を継いだ際現在地に移されています。戦国時代に入ると仏向寺は僧兵を受け入れ武装化し天童城の防衛の一端を担っていた事から天正年間(1573〜1592年)に最上義光が天童城に侵攻すると、仏向寺は天童氏と共に戦います。1度は押し返しますが、天正12年(1584)に天童城は落城し、当時の城主天童頼房は奥州へ逃れ、仏向寺の堂宇も兵火によって焼失しました。その後は復興され、時宗12派中天童派の総本山を経て一向派と合流して中本山となり昭和17年(1942)に浄土宗に編入しています。

現在の仏向寺本堂は文化年間(1804〜1818年)の火災で焼失後の文政8年(1825)に再建された古建築物で入母屋、銅板葺、平入、正面千鳥破風、桁行9間、正面3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造り、白漆喰仕上げ。境内には将棋駒の父である吉田大八(天童藩家老、戊辰戦争の際、天童藩を官軍として指揮した事を責められ観月庵で自刃)の墓や龍神堂、大日堂などがあります。又、例祭(毎年11月17日)では「一向上人踊躍念仏(建治元年:1276年、一向上人が薩摩から舟で讃岐へ渡る船上で暴風に遭い念仏により鎮めた時の様子を踊りで表現したのが始まりと伝えられています)」が踊られていて山形県指定無形民俗文化財に指定されています。最上四十八地蔵尊霊場第10番。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

仏向寺の文化財
・ 一向上人踊躍念佛−山形県指定無形民俗文化財
・ 板碑と石仏−天童市指定文化財
・ 袖無編衣−天童市指定文化財
・ 鉦鼓−天童市指定文化財

仏向寺:写真

仏向寺
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