天童市: 建勲神社

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概要・歴史・観光・見所
建勲神社(天童市)概要: 建勲神社の創建は明治3年(1870)に最後の天童藩の藩主だった織田信敏が祖である織田信長を祭神として社殿を建立した事が始まりです。当初は舞鶴山山頂に建勲社(明治2年:1869年に建織田社として宣命下賜しましたが明治3年に建勲社に改称)として鎮座し、明治6年(1873)には県社に昇格し、明治17年(1884)に現在地に遷座、大正8年(1919)に神饌幣帛料供進神社に指定され、太平洋戦争後に現在の社号である建勲神社に改称しています。天童藩主である織田家は織田信長の2男織田信雄の系統で、信雄は天正10年(1582)の本能寺の変で織田信長が明智光秀の謀反により自刃後、本来織田家を継ぐべき人物でしたが、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の画策により兄信忠の長男三法師が当主となり事実上羽柴家が織田家を排斥しました。その後、信雄は秀吉との対立から大大名から没落し、名門織田家の血筋から僅か数万石の小大名として存続が許され、小幡藩を立藩、その後裔が高畠藩を経て天童藩に移封され最終的には1万8千石となっています。建勲神社境内4950uにはアカマツ、ツツジ、レンゲツツジ、シシガシラ、ヤブコウジュ、スミレなどが群生し、特にアカマツは樹齢200年、幹回りが1m以上の大木が200本を数え昭和51年(1976)4月14日に天童市指定天然記念物となっています。拝殿は切妻、銅板葺、平入、桁行3間、梁間3間、本殿は一間社、神明造、銅板葺。例祭:5月3日。祭神:織田信長命。

建勲神社:写真

建勲神社
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