石仏寺(天童市)概要: 宝樹山石仏寺は山形県天童市大字高擶北に境内を構えている浄土宗の寺院です。石仏寺は案内板によると「石仏寺は弘安年間(1200年代後半)に一向上人俊聖の開祖と伝えられ、もとは、旧山寺街道沿い(バイパスの東側)にあったもので、そこにはいまでも「真砂井」といわれる井戸や板碑などが残っている。ここにある石仏は、もともと旧石仏寺跡にあったものである。いずれも凝灰石製で背部が舟形になっており、かなり風化している。左端から一番目は、合掌の立像で像容不明、二番目は右手施無畏印、左手宝珠をもつ地蔵菩薩、三番目は定印の弥陀像、四番目は地蔵菩薩と思われ、背中に小像があり、五番目は合掌する菩薩型立像である。また、旧石仏寺跡の一体は、小型で垂髪のある菩薩像である。(鎌倉時代) 天童市教育委員会」とあります。
石仏寺の創建は弘安元年(1278)、当時の成生城の城主藤原頼直が一向上人俊聖を召還し開いたのが始まりとされます。当初は天童市大字成生の二階堂池近辺にありましたが永和元年(1375)、当時の天童城の城主天童頼直によって現在地に移されています。石仏寺の境内にある石仏群は貴重な事から昭和46年(1971)に天童市指定有形文化財になっています。
石仏寺本尊の善光寺三尊如来像は元々清池念仏堂に文永3年(1266)に安置されていたものでしたが石仏寺が開山すると当寺に移されています。天童城が落城し天童氏が没落すると最上家家臣が庇護したと思われますが、江戸時代に入って元和8年(1622)に最上家が御家騒動により改易され連座しています。その後も民衆からの帰依を受け寺運も隆盛しています。中通三十三観音霊場第16番札所。山号:宝樹山宗派:浄土宗。本堂:阿弥陀如来。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-天童市教育委員会
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