天童市: 観月庵

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概要・歴史・観光・見所
観月庵(天童市)概要: 観月庵は幕末に天童藩の家老だった吉田大八が自刃した場所です。慶応4年(1868)、天童藩は当初官軍の側の奥羽鎮撫使先導役を受け、吉田大八が役目にあたりました。その為、天童藩は官軍として旧幕府勢力の主力の1つである庄内藩と対立関係となりました。当時の庄内藩は兵力の近代化を進めていた事から、戦局は天童藩に圧倒的に不利となり幼少だった天童藩主織田信敏と隠居織田信学は仙台藩領に逃れ、事実上吉田大八が天童藩兵を率いて庄内藩と戦いました。庄内藩兵が天童城下に侵攻すると天童陣屋の他民家230戸を焼き討ちし大きな被害を受けましたが、本格的に朝敵になるのを避ける為、庄内兵は一時撤退しました。しかし、庄内藩や会津藩は新政府軍から完全に討伐対象となった為、奥羽の諸藩が協力して対処する事が求められ白石城(宮城県白石市)で行なわれた奥羽越列藩同盟に天童藩も調印しました。この事により天童藩は官軍から一転して旧幕府側に付く事になり、先の庄内藩との戦いの責任者となった吉田大八の身柄引き渡しが要求され大八は米沢藩に自首しました。仙台藩の裁定により天童藩に引渡しとなり観月庵に謹慎後、自刃、その際、腹を十字に切っても死に切れず、自ら首の頚動脈を切ったとされ、血ふぶきが天井まで届いたと伝えられています。明治元年(1868)6月18日享年37歳。

観月庵:写真

観月庵
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