天童市: 三宝寺

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概要・歴史・観光・見所
三宝寺(天童市)概要: 三宝寺は天童藩主織田家の領内菩提寺として知られています。天童藩織田家は織田信長の次男織田信雄の後裔の家系で、豊臣秀吉との対立により大大名からは没落しましたが小藩として生き延び小幡藩(群馬県甘楽郡甘楽町小幡)から高畠藩(山形県東置賜郡高畠町)を経て天保元年(1830)、織田信美によって天童藩を立藩しました。天童の地は明和4年(1767)に高畠藩に移封された際に藩領として組み込まれ、藩領の大半が天童を中心とした村山郡に集中していた事もあり文政11年(1828)に幕府に陣屋の移転を願い出て天保元年(1830)に認められました。同年、幕府寺社奉行より織田家の菩提寺として申し付けられ以後、織田家の領内菩提寺となっています。織田家は境内の御霊屋を造営するなど境内を整備し歴代の位牌(織田信長他一族79名)などを移しています。慶応4年(1868)の戊辰戦争の際、天童藩は当初官軍に与した為、旧幕府軍だった庄内藩の侵攻を受け天童陣屋の他民家230戸が焼失し、三宝寺もその兵火に類焼し大きな被害を受けました。織田家の位牌などは持ち出せ無事でしたが御霊屋など多くの堂宇は焼失しています。又、寺宝として信長の肖像画の写真を所有し、一説には信長の生存中に宣教師によって写実的に描かれたもので、織田家では一番信長公に似ているとして伝わり家臣達は年頭の挨拶には必ずこの肖像画に礼拝していたと伝えられています。明治に入り撮影技術が持ち込まれるとその肖像画の写真を3枚撮り、されぞれ織田家、宮内庁、三宝寺が所有したと言い伝えられています。現在は原本と写真2枚は紛失し三宝寺のものだけが残されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

三宝寺:写真

三宝寺
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