鶴岡市大山(歴史)概要: 鶴岡市大山は戦国時代武藤氏の本拠となった場所で天文元年(1532)に尾浦城尾浦城の築城しました。武藤氏は当初大宝寺城(鶴ヶ岡城)を居城にしていましたが、最上氏、上杉氏の台頭と家臣の不穏の動きから、より堅固の城郭の築城が必須となり大山の地を選びました。しかし、武藤氏は最上氏や秋田氏などと対立することで戦線が伸びきり家臣の裏切りもあり弱体化していきます。武藤氏は上杉氏に従属することでなんとか戦局を維持しますが豊臣秀吉の奥州仕置きでの検地の際、一揆が発生し、その罪で領土を追われる事となります。その後は上杉氏が入りますが関ヶ原の戦い後は最上氏が領し大山城と改称するなど城郭や城下町の整備を行います。
元和8年(1622)に最上家が改易となり酒井家が13万8千石で鶴ヶ岡城に入り庄内藩を立藩すると、正保4年(1647)に初代庄内藩主となった酒井忠勝の7男忠解が1万石で大山藩を立藩します。しかし、寛文8年(1668)に忠解が死去、嗣子がない事が理由となり翌寛文9年(1669)に廃藩となり領地は幕領となり代官所支配となります。
その後は羽州浜街道の宿場町や酒造業などが発展し周辺地域の中では中心的な存在となっていきます。現在の鶴岡市大山は旧羽州浜街道沿いに古い町屋が並び当時の町並みが残され、郊外には海に関係が深い善宝寺や庄内の三大祭の一つに数えられる「大山の犬祭」を例祭にもつ椙尾神社(石鳥居−県指定)など歴史ある神社仏閣があります。
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