椙尾神社(鶴岡市)概要: 椙尾神社は山形県鶴岡市馬町 字宮ノ腰に鎮座している神社です。椙尾神社の創建年は不詳とされますが欽明年間(540〜571年)に創始したと伝えられています。延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載されている小物忌神社(出羽國飽海郡)の論社で古くから信仰されてきました。
ただし、式内社小物忌神社には論社が多く、酒田市山楯に鎮座している小物忌神社、酒田市飛島に鎮座している小物忌神社、遊佐町当山に鎮座している劔龍神社、酒田市麓字麓山に鎮座している飛澤神社があります。
中世になると地頭職だった武藤氏の崇敬社となり、居城尾浦城(大山城)の鎮守社として出羽国で式内社に選定されている9社を奉招、例祭には当主自ら参加し社殿の造営や社領の寄進を行い篤く庇護しました。
山形城の城主最上家の庄内侵攻により武藤氏(大宝寺氏)が滅亡すると最上家が庇護し慶長17年(1612)には最上義光が社領170石を寄進しています。
元和8年(1622)に最上家が改易後は庄内藩(藩庁・鶴ヶ岡城)の藩主酒井氏が椙尾神社を庇護したものの武藤氏の時代に比べると10分1以下とされ往時の繁栄には至りませんでした。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治2年(1869)に小物忌椙尾大明神から現在の社号である椙尾神社に改め、明治6年(1873)に郷社、明治9年(1876)に県社に列しています。
別当寺院は6坊ありましたが、廃仏毀釈運動なども重なり筆頭格である地蔵院以外は廃寺となっています。
現在の椙尾神社本殿は正保年間(1644〜1647年)に火災で焼失後、萬治4年(1661)に再建(大正4年に改修)したもので三間社流造、銅板葺。拝殿は文政9年(1826)に建てられもので入母屋、銅板葺、正面千鳥破風、平入、桁行8間、梁間3間、正面3間向拝付、向拝木鼻には獅子、欄間には龍、虎、松を模した精緻な彫刻、外壁は板張素地。
参道の鳥居は慶長16年に最上氏の家臣下次右ェ門尉藤原實彦と原美濃守源頼秀が奉納したもので、石造の両部鳥居の変形で関西の影響が見られる貴重なものとされ昭和28年(1953)に山形県指定有形文化財に指定されています。
椙尾神社の社宝には「三代実録」20巻、古事記伝45巻などがあり、毎年6月の例祭は、椙尾神社の裏山に住んでいた化け物を丹波にいた「めっけ犬」が退治した故事から、箱車にのせたメッケ犬を先頭に行列が練り歩く「犬祭り」として知られ庄内三大祭(酒田まつり・鶴岡天神祭・大山犬まつり)の1つとされています。祭神:事代主神。配神:天津羽羽神、竜田彦神、竜田姫神、月山神、大物忌神。例祭:6月5日。
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