由豆佐売神社(鶴岡市)概要: 由豆佐売神社は山形県鶴岡市湯田川岩清水に鎮座している神社です。由豆佐売神社の創建は白雉元年(650)に勧請されたといわれています。平安時代に成立した三代実録の仁和元年(885)11月15日の条によると仁和元年(885)6月21日に秋田城(秋田県秋田市寺内)の城中と飽海郡神宮寺西浜(現在の山形県飽海郡遊佐町)に石鏃が降った事から(鳥海山が噴火し火山弾が降り注いだと推察されます)、占いをしたところ不吉な前触れとの結果となりました。
この自然災害は由豆佐売神社を軽んじたとの神官から奏上もあり、朝廷は由豆佐売神社を篤く祭るように命じたと記録されています。由豆佐売神社は平安時代後期の延長5年(927)に著名な神社を纏める為に編纂された延喜式神名帳に記載された所謂「式内社」で、出羽国(主に秋田県と山形県)では9座(田川郡3座)しか記載されておらず、そのうちの1座となっています。
由豆佐売神社は湯田川温泉の温泉街を見下ろす高台に鎮座し、奈良時代の和銅5年(712)発見された湯田川温泉の守護神として信仰の対象となりました。又、歴代領主の崇敬を受け、慶長17年(1612)には山形城(山形県山形市)の城主最上義光(鶴ヶ岡城に隠居?)から社領155石が安堵され、最上氏改易後は庄内藩主(鶴ヶ岡城の城主)酒井氏が庇護し、安永年間(1772〜1781年)に社殿を修復し社領50石を寄進しています。
古くから神仏習合し江戸時代までは「溝杭権現」、「湯蔵権現」、「龍蔵権現」、「観音堂」などと称し別当寺院として長福寺が祭祀を勤めてきましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が排され明治9年(1876)に郷社に列し、明治40年(1907)に神饌幣帛料供進神社に指定されています。
現在の由豆佐売神社拝殿は江戸時代中期の安永年間(1772〜1781年)に造営された当時のもので木造平屋建、寄棟、瓦葺き、平入、桁行5間、梁間5間、正面3間軒唐破風向拝付き、神仏混合社殿の典型で、内陣や外陣をもつ寺院建築に近い構成になっていています(往時は本地仏である十一面観音像が祭られていた)。明治初頭に発令された神仏分離令の為、神社建築に近い形を取る為に明治15年(1882)に拝殿背後にある本殿(棟梁:高橋兼吉)を増築しています。境内には「乳イチョウ」と呼ばれるイチョウの巨木があり樹高37m、周囲7.3mの大きさは山形県内では最大級とされ昭和27年(1952)山形県指定天然記念物に指定されています。祭神:溝杙姫命、大己貴命、少彦名命。
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