三井家蔵座敷(鶴岡市)概要: 三井家初代弥惣右衛門は伊勢国片野(現在の三重県多気郡多気町)出身で、同国出身の豪商三井家(後の三井財閥)に因み江戸時代中期(概ね1700年代中頃)に鶴岡に移り住むと三井家を称するようになりました。
居を構えた下肴町は鶴ヶ岡城の外堀を兼ねた内川が流れていた事から荷揚げなどに有利で次第に豪商として名を馳せるまでになりました。
明治2年(1869)の鶴岡大火(下肴町中心に約260戸が焼失)により類焼し母屋他、多くの建物が焼失、再建に際しては母屋を類焼から守るように防火構造である土蔵で敷地を取り囲むように計画されました。
現在の三井家蔵座敷はその当時のもので、土蔵造2階建、切妻、桟瓦葺、建築面積66u、一般的に物置や保管庫としている付属舎とは異なり座敷として利用された格式の高い建物となっています。
特に構造材である柱は36cm角、棟は58cmの欅材、内壁は真壁造りで現しとなった構造材には漆塗り仕上げで、床の間や襖絵など豪華な造りとなっています。又、防火建築として開口部も蛇腹にして煙が内部に入り込まない工夫が見られます。
三井家蔵座敷は明治時代初期の土蔵建築の遺構で意匠的に優れ、鶴岡の歴史と文化を伝える建物として貴重な事から平成元年(1989)に鶴岡市指定有形文化財に指定されています。
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