丸岡城(鶴岡市)概要: 丸岡城は中世から庄内一円を支配した武藤氏の支城として家臣の丸岡氏が在城しました。戦国時代末期になると、最上領と上杉領と接していた事もあり戦乱のうち両氏が交互に支配する事になりました。関ヶ原の戦いで西軍に組した上杉氏が減封されこの地を去ると最上氏の領地になりますが、元和8年(1622)に最上氏がお家騒動で改易されると酒井領となります。寛永9年(1632)に加藤忠廣(加藤清正の嫡子)が54万石を没収され酒井氏に1万石の捨扶持を与えられ排斥となります。丸岡城はすでに一国一城令により廃城になっていましたが、加藤氏が入る事になり陣屋として再整備されます。承応2年(1653)に忠廣が死去すると領地は幕府領となり再び廃城となります。現在の丸岡城は内堀(外堀)と土塁の一部が残り北東の隅に鎮守社である御城稲荷が鎮座しています。又、御殿庭園の泉(百間堀)が再現され庭石の一部(太夫石・巫女石)が残っています。隣接する天澤寺の加藤清正の墓碑とともに山形県指定史跡に指定されています。
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