鶴岡市: 丸岡城

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概要・歴史・観光・見所

丸岡城(鶴岡市)概要: 丸岡が何時頃築かれたのかは判りませんが、前身となる備前館は鎌倉時代に庄内地方の地頭として入部した大宝寺武藤氏によって築城されたとも云われています。

当地は庄内地方と村山地方を結ぶ六十里越街道と、その街道沿いの山添村から分岐し大鳥村を結ぶ脇街道である大鳥街道を押さえる交通の要衝で軍事的に重要視されました。

大宝寺氏の居城である大宝寺城から見ると丸岡城は南側に位置し、六十里越街道大鳥口から侵攻する敵に対して防衛する有力な支城だったと推定されています。

永正年間(1504〜1512年)に大宝寺氏の旗下にあった押切備前守が城主として確認されており、地名の「備前」は備前守が由来なったようで、備前館も押切備前守が築城したとの説もあります。

しかし、永正9年(1512)に大宝寺氏と砂越氏(砂越城の城主)との間で対立が激化、それに伴い押切備前守は横山城を築いて本拠地を遷しています。

永禄年間(1558〜1570年)頃には大宝寺氏17代当主大宝寺義氏の弟である義興が当地に配され、地名に因み「丸岡」姓を掲げ、備前館を拡張整備して丸岡城に改めています。

元亀2年(1571)、義氏が、大宝寺家の重臣だったものの対立関係にあった土佐林禅棟に勝利した事を受け、義興は土佐林氏の居城だった藤島城に遷っています。

天正15年(1587)、義氏の跡を継いで尾浦城に入っていた大宝寺義興は東禅寺氏、最上氏連合軍に敗北し、大宝寺氏が事実上滅ぶと、丸岡城は最上氏の支配下に入ったと思われます。

その後、大宝寺氏の名跡を継いだ大宝寺義勝が一時復権したものの、天正18年(1590)に発生した藤島一揆の不手際から、天正19年(1591)に改易となっています。

代わって、庄内地方は越後上杉領になった為、丸岡城も上杉家の支配下に入ったと思われます。

慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いで西軍に与した上杉景勝は減封されこの地を去ると最上氏の領地になり、庄内地方は山形藩領に組み込まれています。

しかし、元和元年(1615)に一国一城令が発令された為、丸岡城は廃城となり、さらに、元和8年(1622)に最上氏がお家騒動で改易されると酒井忠勝が入封し庄内藩が立藩しています。

一方、寛永9年(1632)に加藤清正の嫡子で肥後藩54万石の藩主だった加藤忠廣が改易、庄内藩主酒井氏に預けられ1万石の捨扶持を与えられています。

当初、忠廣は村山郡左沢に配される予定でしたが、酒井忠勝の希望により丸岡に変更され、寛永10年(1632)に領域が確定し、出羽丸岡藩が立藩しています。

ただし、出羽丸岡藩は忠廣一代限りと定められており、実質、庄内藩が管理した為、忠廣には殆ど采配を振るう機会も無く、それを憐れんだ忠勝は、毎年米100俵を支給していたと伝えられています。

丸岡城はすでに一国一城令により廃城になっていましたが、忠廣が入る事になり陣屋として再整備され、敷地内には忠廣と生母で忠廣に随行した正応院の居館等が建築されています。

正保3年(1646)、火災により丸岡館が焼失すると忠廣が京都に居た頃の屋敷が当地に移築再建され、御殿の代用としています。

承応2年(1653)に忠廣が死去すると出羽丸岡藩は廃藩、領地は幕府領となり丸岡館は再び廃館、施設は庄内藩の本城である鶴ヶ岡城の会所と忠廣と母正応院の菩提寺である本住寺に利用されています。

丸岡城は主郭周囲を水堀と土塁で囲み、東側を流れる内川と、西側に流れる番田川を天然の外堀に見立てた平城で、東側には桝形の大手門が備わっていました。

現在の丸岡城は北側の堀と土塁の一部や庭石の一部である太夫石・巫女石が残され、北東の隅に鎮守社である御城稲荷が鎮座し、百間堀と呼ばれる御殿庭園の泉を再現し、丸岡城跡史跡公園として整備されています。

丸岡城の城址は貴重な事から、隣接する天澤寺の加藤清正の墓碑とともに山形県指定史跡に指定されています。

尚、加藤忠廣と、母正応院の遺体は、丸岡館の整備が竣工するまでの仮御殿として利用された本住寺の境内に葬られ、墓碑である五輪塔が建立されています。

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-櫛引町教育委員会
・ 現地案内板-鶴岡市教育委員会

丸岡城:写真

丸岡城
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